誰もが旅を楽しむ時代をいち早く見据えていた「近代ホテルの父」の生涯
時代が必要とするホテルの追求
「フィオレンティーノさん、これが普通なんです。前回はたまたま悪運にあたってしまっただけです」
「ハハハ」
フィオレンテイーノは笑いながらパイプの煙を吐き出した。
「お見事です。次もホテルを建てるのなら、ご協力させていただきますよ。お気軽にお申し付けください」
「もちろん建てます。今回得た資金を投入して、永遠に残るホテルを!」
「それは素晴らしい。あのパリのリッツに負けないくらいの豪華ホテルを期待しておりますよ」
エルスワースは首を振った。
「素晴らしいホテルを建てます。ただし、リッツのような豪華ホテルではありません。私は豪華なホテルのオーナーになって、人にうらやましがられたいなどという夢はもていませんから」
「ほう、ではどのようなホテルを建てるのですか」
「私が建てるのは儲かるホテルです」
「どんなホテルが儲かるのですか? この間のように、大きなホテルですか?」
エルスワースは両手で大きなボールを受け取るような姿勢をとりながら、フィオレンティーノを見つめた。
「今、世の中は変革期にあります。多くの庶民にお金ができ、旅を楽しめる時代になりつつあります。これまでは、ごくわずかな富裕層しか旅ができなかったから、豪華なホテルばかりに投資が向いていました。しかし、その時代は去ります。これからは庶民を泊めるためのホテルを造るべきなのです。なぜなら、庶民のほうが圧倒的に人口が多いからです。綺麗で快適で値ごろ感のある大型のホテル。それこそが、これから必要とされ、多くの利益を生むホテルになります」
エルスワースはこぶしを握りしめて自分の胸にあてた。
「なーるほど! あなたのお考えにはいつも説得力がある。時代の流れを読むその洞察力には感心させられます。あなたに賭けてみたい! 是非ご協力させてください」
エルスワースはうなずいた。
「では、いざというときのために、10万ドルをご用意いただけますか? 全く使わずにすむかもしれませんが」
「承知いたしました」
エルスワースは1907年、ニューヨーク州バッファローに300室のホテルをオープンさせた。全ての部屋にはバスルームが付き、便箋とペンが置かれた。そして“1ドル50セントで泊まれるバスルームつきの部屋!”というPRが掲げられた。1900年初頭のアメリカには、各部屋にシャワーを備えたホテルは少なく、ゲストは部屋から出て共同シャワー室に行かなくてはならなかった。全ての部屋にシャワー室と洗面所を完備した大型ホテルは、このスタトラー・ホテルが初となった。
周囲のホテルで働く者たちは口々に言った。
「無理に決まっているじゃないか。そんな値段で採算がとれるわけがない」
だが、そうした予想とは裏腹に、スタトラー・ホテルは大きな売り上げを保ち続け、結局10万ドルを使うことは1度もなかった。
それからエルスワースの快進撃は続いた。1912年にクリーブランド、1915年にデトロイト、1917年にセントルイスにホテルをオープンさせていった。
彼はスペースを科学的に分析し、最大の利益を生みだせる合理的なホテルを造りあげた。また、等身大の鏡を部屋に置いたり、無料で新聞を配布したりして、ゲストを喜ばせた。レイアウトの面では、ドアを開けたところに電気のスイッチをつけ、防火ドアも装備した。また、各部屋に電話を設置し、ルームサービスの注文ができるようにした。それらはスタンダード化され、後のアメリカ中のホテルに受け継がれて行った。