被災した「サバ缶」を洗って売ろう。石巻の缶詰工場を支援した東京の商店街
未曽有の大震災に見舞われ、缶詰工場が壊滅。東京に運ばれてきたのは重油にまみれた黒い缶詰だった
そんな矢先、東日本大震災が発生。工場は津波に襲われ、保管していた缶詰は海水と泥に埋没していったのです。
震災後しばらくして営業マンの生存を確認できた須田さんは、水道水がない被災地のかわりに缶詰を経堂へ運び、商店街の人々と洗って販売し、売り上げを義援金にまわすことを計画。「長屋の助け合い精神」で多くの賛同者を得たものの、「さばのゆ」店頭に運び込まれた缶詰を見て、集まった人々の表情から血の気が失せたといいます。
「荷台から降ろされた缶詰は重油にまみれ真っ黒。まとわりついた海水が腐って鼻が曲がりそうでした。しかもその海水が多くの命を奪ったと考えると沈鬱な気持ちになりました。さらに実際に洗っても、汚れがなかなか落ちない。『これはたいへんなことになった……』と思いながら重曹をたっぷり入れたお湯に漬け、黙々と歯ブラシでこすりました」
「やめようと思わなかったか、ですか? 凍える季節に暖房が使えない小学校中学校の教室に身を寄せ、暖かくなると、ハエが群がる泥中から缶詰を掘り探して東京まで運んでくれる社員さんたちの苦労を思うと、手を休めることはできませんでした」
須田さんは往時を振り返り、こう語ります。
「くさい」「街から出ていけ」。すべての住民から理解されたわけではなかった缶詰洗浄運動
須田さんたちを苦しめたのは、取れない汚れだけではありません。缶詰の洗浄に対して住民から反対の声があがりはじめたのです。
「『くさい』『街から出ていけ』と非難する意見が聞こえるようになりました。僕ひとりだったら、きっと心が折れていたでしょう。反面『街角を曲がったら、故郷の石巻の香りがした』と泣いて懐かしむ方もいる。そんな声を聞いたり、協力してくれる方々がいたりしたから、続けることができたんです」
……と、ここで終わればスマートな美談。しかし協力者たちさえも一枚岩ではない。缶詰の洗浄による支援は、温かな人情によって支えられたとともに、人間の内側にあるきれいごとでは済まない闇をも浮かび上がらせたのです。
「街の人たちと缶詰を洗っていると、マルチ商法や新興宗教の勧誘をする人たちもやってきました。また女性をナンパする目的だけだったり、それこそ詐欺師だったり。お金をだまし取られた人もました。缶詰を洗ってくれる人たちの安全も守るため『善意で集まった人をフィルターにかける』という、したくないこともしなければならなかった。つらかったです。しかしそこを厳しくしないとコミュニティが壊れる。今回の行動ではそういうことも学びましたね」