世界のホテル王「ヒルトン」はいかにして世界大恐慌を乗り越えたのか
「そうなんだ。ホテルの売値はNOI(ネット・オペレーティング・インカム……税引前の純利益)をもとに決められるからね。売り上げが悪ければ、ホテル自体も高くは売れない」
「純利益をもとにして、どのように値段を決めるのですか?」
「たとえば、NOIが1ミリオンダラーのホテルがあったとする。そのホテルを10ミリオンダラーで買えれば、年間の利回りは10%になる。20ミリオンダラーで買えば、その半分の5%だ。オーナーになる人は高い利回りが欲しいが、売主側は高く売りたい。大概、交渉の末、5%~4%の利回りになる金額で合意となるのが通常のパターンだから、NOIが1ミリオンダラーのホテルの値段は20から25ミリオンダラーということになる」
キャサリンはうんうんと頷きながら聞いている。
「ということは、一等地にあるからとか、豪華に造られているとか、そういった要素はホテルの売値には関係ないということなんですね」
「そうなんだ。リッツカールトンでは高い稼働率が出せないから、NOIが低い。だからホテルの売値も低くなる。あんな豪華なホテルにもかかわらず」
「お気の毒です……。でも、それではプラザホテルはどうなんですか? あのホテルはランクが高い上に、駅から離れています。最悪のコンディションですよね?」
コンラッドは首を振った。
「あのホテルだけは特殊だ。富豪たちが暮らす館なんだよ」
「えっ! 富豪が暮らしているんですか?」
「35年前にオープンして以来、多くの大富豪ファミリーの別宅として利用されてきた。だから、グレート・ディプレッション時代に、泊まりにくる人が少なくても大丈夫だったんだよ」
キャサリーンが目を大きく開く。
「どうして大富豪が暮らすことになったんですか?」
「セントラルパークがオープンした1870年頃は、裕福な人々はマンハッタン南部か、ロングアイランドに暮らしていた。だが、セントラルパークの苗木が育ってくると、あの美しい公園の周りで暮らしたいという人々が出てきたんだ。彼らの要望を最初に叶えたマンションがダコタハウスであり、それに続いたホテルがプラザホテルだった」
「なるほど。だからダコタハウスもプラザホテルも、セントラルパークが眺められる場所に建てられたんですね」
「ダコタハウスもプラザホテルも当時の建築界の巨匠、ヘンリー・ハーデンバーグに設計されている。それはそれは贅沢な造りをしている。ルーズベルトホテルやホテル・ペンシルバニアとはお金のかけ方が違う」
「面白いお話しです」
コンラッドが頷く。
「さらに面白いのは、にもかかわらず、プラザホテルのNOIはそれほど高くないということだ」
「ちょっと待ってください。大富豪たちが暮らしているのに、どうしてNOIが低いのですか?」
キャサリーンは首をかしげた。
「レントコントロールがあるからだよ」
「レントコントロール? あっ、わかりました!」
キャサリーンはパンと手を叩いた。
「年間に上げられる家賃に制限があるから、長年に渡って暮らしている人の家賃は、現在の市場価格よりもだいぶ安いということですね」
「そう。プラザに暮らしている人々の多くは30年以上もあそこに住んでいる。年間3%づつ家賃が上がっていたとしても、現在の市場価格の半額以下で借りていることになる。一方で、ホテルのルームレートはいくらでも上げることができる。ここに大きな差ができているんだ」
「プラザホテルは大富豪が暮らしていたから、グレート・ディプレッションの時でも、安定した利益をあげることができた。それはプラザホテルを存続させるのには一役買ったけど、今に至っては、35年間のレントコントロールに引っ張られ、本来よりもかなり小さいな額しか儲けられない。そういうことですね?」
「そうだ。だから……」
「わかりました!」
キャサリーンは手のひらをコンラッドに向けて、彼が話し続けるのを遮った。
「NOIが小さいから、あの豪華なホテルがとても安く買える!」
「その通り。もしかしたら、ルーズベルトホテルよりも安く買えるかもしれない」
「えー! アメリカ一豪華と言われるようなホテルが、3スターホテルよりも安く買えるなんて、不思議な世界ですね」
「そうだね。でも、それは今だけの話だよ。戦争が終われば、アメリカには再び好景気が訪れる。前回の戦争同様、アメリカは他国と違って戦場になっていない。全くダメージを受けていないばかりか、武器を製造販売することで、景気が活性化されている。戦争が終れば、景気があがり、稼働率もあがる。大富豪たちを立ち退かせることもできるだろう。その時、あのホテルは高いルームレートで埋めることができるようになる。NOIはあがり、ホテルの値段は高くなる。安く買えるのは今をおいて他にない」
「と、いうことは……」
キャサリーンがまばたきをする。
コンラッドはにやりとした。