世界のホテル王「ヒルトン」はいかにして世界大恐慌を乗り越えたのか
富豪たちが暮らすホテル
プラザホテルのロビー中央には、パームコートと呼ばれる場所がある。
とあるトラベルライターが“世界一美しいカフェ”と称した、天井がステンドグラスで覆われているこのカフェは、ホテルが建てられた時から上流階級の人々の憩いの場となっている。あくせく働かなくてもいい身分の人々が、毎日このカフェでお茶を飲みながら時間をつぶす。
2人の男が、このパームコートでアフタヌーンティーを飲みながら話をしている。ともにラフな身なりで、瀟洒な服装をしているその他のゲストとは雰囲気が違っていた。
「先日、ルーズベルトホテルを買ったばかりなのに、ヒルトンがプラザホテルも買おうとしているという噂を聞きましたか?」
「もちろんです。ニューヨークタイムズに出ていましたから。テキサスの田舎を中心に広がっているビジネスホテルチェーンでしょ。そんなのに買われたら、このホテルはどうなってしまうかわからない。そろそろ引っ越しを考える時かもしれないですなあ。それにしてももったいない……」
男は上を向いて、天井のステンドグラスを見つめた。見慣れているはずの赤いバラと緑の弦がとても新鮮に見えた。
「先ほど、セント・レジスを見てきました。セントラルパークは見えなくなりますが、なかなかの造りをしたホテルでした。ただ、ロビーが狭いです」
「そうですか。ゴッサムホテルも同じです。ロビーが狭いんですよ。セントラルパークが見え、こんなにゆったりとしたロビーと、ゴージャスなレストランが備わったホテルは、プラザ以外にはないですから。本当に残念なことです……」
ヒルトンによる買収話は、瞬時にしてプラザホテル内に暮らす人々の間を駆け巡った。ヒルトンを歓迎する人は誰一人としておらず、人々はプラザホテルを去ることを考え始めていた。そして10月、ついにヒルトンはプラザホテルを買収する。その直後、コンラッドは思いもよらぬ行動に出た。
「キャサリーン、いい文章を考えてくれないか?」
「もちろんです。どんな内容でしょうか?」
「プラザホテルに暮らしている人々に、出て行かれないようにしたいんだ。あのホテルはロケーションといい、格式といい、ニューヨークナンバーワンのホテルと言って間違いない。だから、ヒルトンホテルの名前を使うつもりはないんだ」
「えっ! せっかく、高いお金を出して買ったのに、ヒルトンの名前をつかわないんですか?」
「君も学生時代に“ザ・グレート・ギャツビー”を読んだと言っていたよね。あそこまで名前が世間に浸透してるホテルの名をいまさら変えたら、これまでついていたファンが離れてしまう。ヒルトンホテルはビジネスホテルとしてのイメージが強いから、プラザホテルをヒルトンホテルという名前にするのは利益を損ねる愚行にすぎない」
キャサリーンは目を丸くした。
「わかりました。それで?」
コンラッドは目を閉じながら続けた。
「親愛なるプラザホテルにお住まいの皆様へ……として、まずホテル名を変えないこと。それから、6ミリオンダラーをかけてホテルを修復すること。今よりもっと住みやすくするので、そのまま滞在してくれることを希望していること。この3点を伝えたいんだ」
「6ミリオンダラー! そんなお金があったら、ホテルがもう一軒、買えるじゃないですか!」
キャサリーンが目を丸くする。
「クラッシックホテルの修復にはとてもお金がかかるんだ。いたるところ金箔が使われているし、装飾も異常に細かいからねえ。あの手のホテルのゲストは豪華絢爛さを求めてくるから、いつも輝いていないとダメなんだよ。6ミリオンダラーぐらいはかけてもいいんだ。なにしろ、たったの7.4 ミリオンダラーで買ったんだから」
「計算通りだったんですね!」
コンラッドは頷いた。
「プラザホテルは“家畜”のようなものだ。餌を与えて太らしておけば、将来、その何倍もの値段で売れるようになる。だが、戦争が続いている間は、居住者にいてもらわなくては困るんだ」