黒船来航が関係していた?歴史からたどるニッポンの「乾杯」豆知識

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2020/04/04

春の気配が感じられるようになると例年なら歓迎会の時期になりますが、今年は新型コロナウイルスの影響でリモート作業の会社も増えたこともあり、歓迎会が「リモート飲み会」になるかもしれませんね。

そんな飲み会といえば、みんなでグラスを掲げ、「乾杯」を行いますが、この乾杯、いつごろから日本人はやっているのでしょうか。

そこで今回は、ニッポンの乾杯の由来を探ってみました。リモートの飲み会で話題に困ったときは、タイミングを見て雑学を披露してみてもいいかもしれませんね。

乾杯の「動作」と「掛け声」には別々の歴史がある

image by:Shutterstock.com

乾杯の歴史についてまとめた良書として、神崎宣武編『乾杯の文化史』(ドメス出版)という本があります。日本酒での乾杯文化を広めるために、乾杯の歴史を研究しようと生まれた本です。気鋭の研究者が集まってつくり上げたこの書籍を読むと、乾杯の歴史は、

  1. グラスを掲げる動作
  2. 「カンパイ」という発声

の項目を、別々に考えて整理した方がいいと分かります。確かに、日々の飲み会で行う乾杯の動作は(1)グラスを掲げる(2)「カンパイ」と発声するという2つの行動に分解が可能です。

これらの動作と掛け声は、時系列で考えると別々にやってきて、後にひとつとなった歴史があるのですね。

乾杯は「黒船来航」が大きく影響していた

image by:Shutterstock.com

まずは最初にグラスを掲げる動作を、いつから日本人が行っているの調べていきましょう。この点に関してはさまざまな書籍やインターネット上の情報でも明らかにされているように、あの黒船が関係しているとの話。

もともと、お酒を飲む前に杯を掲げる文化は日本には存在していませんでした

しかし、日本を転覆させるほどの驚きをもたらした黒船が来航し、その半年後、条約を結ぶために黒船が再び現れたとき、日本にグラスを掲げる文化が生まれます。


『その時歴史が動いた』(NHK)風にいえば、「時は1854年(嘉永7年)」。幕府の要人が黒船に招かれ、甲板で祝賀会が開かれます。そのときに初めて、日本人が杯を掲げる動作に出合ったといわれているのですね。

横浜への黒船来航(1854年)image by:Wilhelm Heine / Public domain

アメリカ側から「黒船来航」の様子を記録した『ペルリ提督日本遠征記』(臨川書店)には、甲板で催された祝賀会の様子を描いた挿絵が掲載されています。

日本の侍が地べたに車座になって座る様子が見て取れる一方で、アメリカの水兵がグラスを掲げている様子もその絵では分かります。

もちろん黒船が現れる前も、日本には細々と(長崎の出島を通じて)国際文化が入ってきていました。

江戸時代より前の戦国時代や安土桃山時代にも、南蛮文化が入ってきています。しかし、飲酒の前に杯を掲げるような動作は、庶民にも上流階級にも存在しなかった様子。

その意味で黒船の甲板で杯を日本人がアメリカ人と一緒に掲げた瞬間が、歴史を変えた分岐点になっているといわれています。

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