黒船来航が関係していた?歴史からたどるニッポンの「乾杯」豆知識

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2020/04/04

乾杯の掛け声は最初「バンザイ」だった?

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ただ、黒船の甲板で日本人が出合った乾杯、言い換えれば飲酒に先駆けてグラスを掲げる動作が庶民にまで広がるには、当然ですが時間がかかりました。

幕末には遣米使節団、薩摩藩からの英国留学生の派遣、横浜など国際港につくられた居留地に暮らす外国人との接触などにより、欧米の文化に触れる日本人が少しずつ増えていきます。

明治維新後になると、遣欧使節団の派遣、日清・日露戦争という世界を相手にした戦争とその戦勝祝賀会を通じて、庶民にも世界体験が徐々に増えていきます。

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そうした歴史のなかで、まず軍隊の兵士たちにグラスを掲げる動作が浸透しました。日露戦争の凱旋祝賀会を描いた絵画を見ると、兵士がグラスを掲げて戦勝を祝っている姿が見て取れます。

その凱旋祝賀会に参加した一般の人々にも杯を掲げる動作が広がり、その参会者たちからさらに市井(しせい)にも浸透していったと考えられるのだとか。

しかし、当時グラスを掲げて叫ぶ言葉は、「カンパイ」ではありませんでした。初めのころは「バンザイ」と叫ばれます。

日清戦争、日露戦争で立て続けに勝利を収めると、「バンザイ」という言葉が、凱旋パレードを沿道で見守る人たちの口から、歓声として上がるようになったため、その「バンザイ」の言葉が、祝杯を挙げる際の兵士たちの掛け声になっていったと、冒頭の『乾杯の文化史』(ドメス出版)にも書かれています。

なるほど、「バンザイ」は力強く、大声で気持ち良く叫べる言葉なので、乾杯の掛け声としては適していますよね。

明治時代の末から大正の初期に「カンパイ」が広がった

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しかし、「バンザイ」は「カンパイ」に取って代わられます。掛け声が代わった時期は、「乾杯」の言葉が辞書に登場する大正時代だともいわれています。


明治時代末の国語辞典には「乾杯」の言葉が見つからず、大正時代初期の『大日本国語辞典』(金港堂書籍)に「乾杯」の言葉が掲載され、飲酒時の掛け声としての意味が解説されています。その意味で、明治の末から大正の初期にかけて、「カンパイ」の言葉が浸透していったと考えられるのですね。

どうして「バンザイ」が「カンパイ」に代わったのか、繰り返し参考にしている『乾杯の文化史』でも、経緯については正確には分からない述べられています。

ただ、ひとつの仮説として、万歳は天皇を祝福する言葉で、その乱用を避けるために、新しい言葉が必要とされたのではないかと書かれてます。

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明治から大正に切り替わる際に、さまざまな宮中の儀式が行われ、市民の関心も当然、高まっていきます。

現代でも平成から令和に切り替わるタイミングで、普段はそれほど意識しない宮中のルールや伝統、行事などに、市民の関心が大いに集まりましたよね。メディアでも、宮中行事に関する専門用語の解説が、盛んに行われました。

同じように、激動の明治から大正に切り替わる際に、天皇を中心とする世界観に注目が集まり、その時に本来は天皇を祝福する「万歳」の乱用ぶりが問題視されます。

杯を掲げる際だけでなく、何にでも「バンザイ」と叫んで喜ぶ子どもまで現れ、新しい言葉が必要になったといわれているのですね。

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