なぜ天守がない?東北・岩手の名城「盛岡城」、その歴史
岩手県盛岡市の西部を流れる「北上川」と南東部を流れる「中津川」の合流地に築城された盛岡城。かつては南部藩主の居住でしたが、現在は盛岡城跡公園として、市民に愛されている憩いの場所です。
今回は、そんな東北三名城に数えられている「盛岡城」についてご紹介していきます。
※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウィルスの国内・各都道府県情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。
国の史跡に指定される「盛岡城」
「盛岡城」は、岩手県盛岡市(かつての陸奥国岩手郡)にあった城で、1937年に国指定史跡となりました。もともと盛岡城は、盛岡藩初代藩主である南部信直によって築城されたとされています。
現在の本丸(中枢となる御殿)と二の丸(城主の近親者や重役の家臣たちが居住する場所)の間は空堀で仕切られ、朱色の橋が架かっていますが、かつては「廊下橋」という屋根のかかった橋が架けられていたのだとか。さらにその北側に三の丸(戦のときに前線となる場所)が配置されていました。
本丸には天守台は築かれましたが、幕府への遠慮から天守は築かれていません。これは武力の威勢を表す天守を建てることによって幕府に警戒されるのではないかという配慮があったと考えられています(諸説有り)。
代わりに天守台には御三階櫓(ごさんかいやぐら)という櫓が建造されました。その後、この御三階櫓は「御天守」と呼ばれるようになったのだとか。
盛岡城の白い花崗岩で組まれた石垣は、土製の堤防状の壁が多い東北地方の城郭のなかではめずらしいものとされています。
建造物は明治初頭に解体され、現存するものはとても少ないです。城内に移築された土蔵、市内の報恩禅寺に移築されたとされる門だけが残ります。
その後、盛岡城は「岩手公園」として整備され、2006年に開園100周年を記念し「盛岡城跡公園」と愛称が定められました。また、公園内には出身者である宮沢賢治や石川啄木の詩碑・歌碑が建てられています。
盛岡城跡公園(岩手公園)
春には桜、秋には紅葉などを楽しめます。さらに梅林、藤棚、アジサイ、バラ園などもあり、さまざまな木々花々が四季を彩る公園として多くの人の憩いの場所となっているのですね。
昨今では、新型コロナウイルス感染症の影響で遠方へのお出かけが難しい状況が続いていますが、落ち着いたころには盛岡城を訪れて歴史めぐりを楽しんでみたいですね。
- 盛岡城
- 岩手県盛岡市内丸
- JR東北本線・東北新幹線盛岡駅から盛岡都心循環バス「でんでんむし」左回りで約10分。「盛岡城跡公園」下車、徒歩すぐ
- 岩手県の町並みと歴史建築
- 参考:盛岡市公式ページ(盛岡城跡公園),いわてシニアネット第63回文化サロン・講演会(PDF)
- image by:Shutterstock.com
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