好きになってはいけなかったのに。衝動に突き動かされ、宮崎の海へ走った
たかが指輪ひとつに、どれだけ牽制されているんだ。 結局僕は、何もいえなかった。誰よりも好きな先輩に、良き後輩としてだけ存在していることを選んだのだ。ふと大阪の会社を、僕を思い出したときに、後ろめたさを感じてほしくなかった。
最後まで小生意気な後輩を演じ切って、ホームに向かって歩く先輩を数人で見送る。数人のなかの一人、だ。特別な一人ではない。振り返って手を振った先輩は、少し悲しそうに笑ってた。
先輩がいなくなった次の日も、通常通り出社する。目が覚めたら気持ちがすっかりなくなっていたなんてこともなく、「告白しなかった自分かっこいい」なんて気持ちにもならず、むしろいえなかった後悔で悶々としていた。
もちろん会社に先輩の姿はない。けれど悲しいくらい業務に支障はなく、どこも滞りなく引き継ぎを行なっていった先輩の有能さと、ルーティーンを崩すこともないサラリーマンな自分に、改めて気付く。
落ち着かない気持ちのままメールをチェックしていると、見慣れた先輩のメールアドレスが目についた。受信日時は昨日の定時前。退社手続き直後に送ったのだろう。心臓が途端に跳ね上がり、震える手でメールを開封する。
「営業三課のみなさまへ」
定型文だが、先輩らしい丁寧な文章。僕だけへ送られたメールでもなく、僕だけにわかる隠された秘密のメッセージがあるわけでもない。 先輩のなかの僕は、あくまで「直属の後輩枠」であって、そこを抜けることは最後までなかった。
その瞬間、僕のなかで何かが吹っ切れた。その場で勢いよく立ち上がり、「有給消化します!」と上長のデスクへ向かって叫んで、返事も聞かずオフィスを飛び出した。始業そこそこ、業務の途中で、だ。
ビルを一歩出ると、もわっとしたコンクリートジャングル独特の暑さが身体にまとわりつく。夏の終わりの太陽が眩しい。でも、先輩の左手の薬指の眩しさに比べたらなんてことはない。
バタバタと家に戻った僕は汗だくのまま車のエンジンを急いでかけて、阪神高速に飛び乗った。加速して加速して、憂うつな気持ちをすべて捨てるかのように。