「けんちん汁」は鎌倉・建長寺発祥?全国に広まった意外な理由とその歴史

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2023/04/01

少し季節外れではありますが、皆さんは「けんちん汁」、お好きですか?あの、根菜や豆腐やこんにゃくなどが入ったおつゆです。家庭や学校の給食で食べたことがあるという方もいるでしょう。

そのけんちん汁の歴史を紐解けば、諸説あるものの、700年以上前から鎌倉の禅寺で作り続けられ、伝えられてきたという説にたどり着きます。

ごく日常の食卓にのぼるあの料理が?そういえば、子どものころは「けんちん」って何だろうか、誰かの名前だろうかなどと考えていたことを思い出します。

image by:t.sakai/PIXTA

そこで今回は、春たけなわの鎌倉は「建長寺」に、その歴史について取材してきました。

※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウイルスの国内・各都道府県情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。

実は神奈川県の郷土料理!「けんちん汁」とは

image by:農林水産省Webサイト

けんちん汁は、崩した豆腐と野菜を油で炒めたものを実としたすまし汁です。農水省のウェブサイト「うちの郷土料理」には、神奈川県の郷土料理として取り上げられています。

このサイトでも、「中国の精進料理である普茶(ふちゃ)料理の一種である巻繊(けんちゃん)が日本語になった」という説と、鎌倉市にある建長寺で作られていた「建長汁」が「けんちん汁」と呼ばれるようになったという説が紹介されています。

けんちん汁の発祥地!日本初の禅の修行道場「建長寺」

image by:山房からむ

鎌倉市にある建長寺は臨済宗建長寺派の本山で、正式名称は「巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)」。

1253年(建長5)年、鎌倉幕府5代執権の北条時頼が創建しました。中国の僧、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を初代住職に招き、日本で初めての禅の専門道場として、当時の中国(宋)の純粋で厳しい禅が実践されたとされています。鎌倉五山(※)第一位です。

国宝に指定されている梵鐘を始め、歴史を伝える貴重な文化遺産の宝庫でもある建長寺。山門をくぐり、手入れの行き届いた美しい庭園を歩きます。


重要文化財でもある仏殿や法堂などに参り、奥へと進んで行くにつれて周囲の風景は山の自然に変わっていきます。

image by:ai/PIXTA

天狗の像が現れ、半蔵坊から後ろはハイキングコースに連なっていて、文化的な面と山とのコントラストが興味深い寺院です。

  • ※五山:禅宗で最高寺格の五寺を表す。鎌倉五山と京五山がある。

「けんちん汁=建長汁」。その興味深い歴史

image by:山房からむ

建長寺では、けんちん汁を「建長汁」と書き記します。2013(平成25)年に和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたことなどを受け、同寺は「建長汁」についてのパンフレットを作り、けんちん汁の発祥や精進の心を公式に伝えようとしています。

同寺によると、ここの修行道場では、開山・蘭渓道隆禅師が自ら、修行僧に料理を指導し、その当時から「建長汁」が伝わっていると口承されています。その通りだとすると、けんちん汁には700年以上の歴史があることになります。

修行僧が落として崩れてしまった豆腐禅師が拾って丁寧に水洗いし、汁の鍋に入れたというのが事の起こり。いまでも、木綿豆腐を手でちぎり、崩しながら入れることになっています。

落とした豆腐を捨ててしまわなかったのと同様に、野菜類も、皮や根っこ、ヘタの部分などが「建長汁」に使われました。修行道場ですから、食材を無駄にするようなことはありません。

そこで、皮などの野菜の固い部分をおいしく食べられるように油で炒めてから煮るというプロセスが出てくるわけです。

油で炒めるという調理手法のなかった日本に、中国から渡って来た僧侶により中国式の食文化も伝えられたのではないか?…禅の教えとともに、食文化も中国から伝来したことが「建長汁」から見えてきます。

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