日本の100年前を振り返る。1923年「12月」はラグビー早明戦初戦の年
東京市が「学校給食」を開始
今では、多くの自治体で当たり前のように実施されている学校給食。とくに小学校での給食の実施率は99.0%と、ほぼ100%に達しています。
そもそも、学校給食の始まりは1889年、山形県鶴岡町(現・鶴岡市)のお寺に建てられた私立の小学校で提供された給食が起源だとされています。生活の苦しい家庭の子どもに無償でお昼ご飯が提供されました。
その後、明治・大正時代を通じて、広島、秋田、岩手、静岡、岡山の一部で給食が実施され、慈善活動の意味合いが強かった給食に、子どもたちの栄養補給の充実という観点が加わっていきます。
そして関東大震災という未曾有の大規模災害を受けて、学校給食の機能がますます注目されます。
同年10月には、文部次官の通達「小学校児童の衛生に関する件」で、子どもたちの栄養改善のために学校給食が奨励され、12月にかけて東京市(現・東京23区部)でも給食事業が盛んになりました。
東京市児童栄養供給部が毎日昼に無料で、市立小学校8校の児童約4,000人に給食を供与し始め、子どもたちの影響補給が劇的に改善されたのですね。
この後、第二次世界大戦の食糧不足で中止になるまで、1929年(昭和4年)の世界恐慌などの出来事も要因となり、学校給食は全国に拡大していきます。
国、地方公共団体、学校法人といった義務教育諸学校の設置者は、
“当該義務教育諸学校において学校給食が実施されるように努めなければならない”(学校給食法より引用)
という努力義務のなか、これまで実施を拡大させてきました。
東京市児童栄養供給部の取り組みが1つの転換期となり、学校給食の普及に大きく影響を与えたとも言える話。歴史は、こうしてつながっていくのですね。
以上、100年前の12月の出来事や流行、社会の動きを紹介しました。過去を振り返りながら今を生き、未来を見通す際にぜひ、役立ててください。
- 参考
- 「浅草寺は凶が多い」は本当か おみくじ配分事情 – 日本経済新聞
- おみくじ、凶と大凶で3割!のわけは? 愛されるお寺「はったさん」 袋井市 – &Travel
- 関東大震災100年 浅草寺 焼け残りの謎を追う 防火対策のヒントとは – NHK
- 関東大震災の寺院被害と復興―関東圏における真言宗智山派寺院の場合―立命館大学歴史都市防災研究所* 客員研究員 – 北原 糸子
- 魚がしと問屋街の発達 – 築地場外市場
- 豊洲移転から1年「飲食店」から見る築地との差 – 東洋経済オンライン
- ラグビー早明戦100年 横と縦、対照的なライバル – 佐賀新聞
- 明治・大正期における公衆浴場をめぐる言説の変容─衛生・社会事業の観点から─ 川端美季
- 近代日本における公衆浴場の衛生史的研究
- 関東大震災(1923 年)後の東京市における運動会の文化的特性:上野公園における「罹災者運働会」の事例から
- 関東大震災後の罹災者収容バラックと三井諸会社による活動の位置づけ
- 靖国神社境内のバラック – 関東大震災映像デジタルアーカイブ
- 大正末期から昭和初期の東京市における「牛乳配給事業」の研究-「身体虚弱児童」への対応を中心に
- 「学校給食130年の歴史」 – 上越市公文書センター
- 学校給食の変遷 – ふるさと給食自慢 – 農林水産省
- 学校給食の歴史 – 学校給食研究改善協会
- 経済恐慌と災害の中の学校給食
- なぜ全員への給食がないの?公立の中学校で給食があるのは、実は当たり前ではないんです… – NHK福岡放送局
- 【文部科学省】令和3年度学校給食実施状況等調査結果を公表 – 日本栄養士会
- 学校給食法 – e-GOV
- 歴史的変遷からみた「給食」の教育的な役割
- image by:Shutterstock.com
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。