日本から欧州へ。海を越えた鉄道「欧亜国際連絡列車」の知られざる歴史

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2024/09/11

「パツスポート」と「トラベラースチエツク」を用意

現在走っているシベリア鉄道 image by:Shutterstock.com

欧亜国際連絡列車でのヨーロッパ旅行は、どんな内容だったのでしょうか。神戸行き寝台列車に連結する形で東京を夜に出発し、翌日の朝、滋賀県の米原で切り離し、欧亜国際連絡列車の車両だけ金ヶ崎(敦賀)に向かいます。

昼前に敦賀に到着、ウラジオストク行きの定期船に連絡し、夕方に出港して、ウラジオストクからは、東清鉄道(ロシアが敷設した主要幹線)、またはシベリア鉄道(ハバロフスク経由)に乗ってヨーロッパを目指しました。

1912(明治45)年の運行開始から少し年数が経過した1929(昭和4)年の情報になりますが、ウラジオストク航路を請け負う北日本汽船が作成した『西伯利経由欧州旅行案内』を参考に、より詳しい旅の姿を振り返ってみましょう。西伯利とは「シベリア」の意味ですね。

まず、当然ながら、ヨーロッパへ列車で向かう際には、

“我政府の外国旅券即ち「パツスポート」を得らるゝこと”

と書かれています。「旅券」の正式名称が日本で定まった時期は1878(明治11)年です。当然、この時期にも、今と同じくパスポートは必要です。別の持ち物として、トラベラーズチェックも挙げられています。

“旅費の御用意ですが各国共通貨を異にしますから大体は信用状又は「トラベラースチエツク」を以て携帯し到達国の通貨にて所要額を其都度引出さるゝこと”

敦賀を出発した船は、どのような船旅をするのでしょうか。

“船は午後二時敦賀桟橋を離れ右に越前一帯の海岸を眺めつゝ航行すること約一時間遥か左舷に立石崎の灯台の現わるゝ頃船は舵を北西に一路浦塩に向ひ中一日を置き三日目正午に浦塩に着く”

とあります。「浦塩」とはウラジオストクです。そこから、シベリア鉄道に乗り換え、ハバロフスクへは13時間、チタ、バイカル、イルクーツク、クラスノヤルスク、ノボシビルスクなどを経て、

“モスコウ、伯林、ウイーン、巴里、倫敦の市内駅”

へと向かうのですね。伯林とは「ベルリン」、巴里とは「パリ」です。

今よりも、海外旅行がはるかに珍しかった時代。旅行者は恐らく、むさぼるように情報を読んだのではないでしょうか。旅人の不安や高ぶりも、今とは全く違ったはず。


以上が、欧亜国際連絡列車についてです。この先は、本当に海を渡る(海底を潜り抜ける)列車が誕生するのかもしれません。旅好きの人、鉄道ファンの人は、引き続き大注目の話題ですね。

 

  • image by:I took a photo of copy, Public domain, via Wikimedia Commons
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翻訳家・ライター・編集者。成城大学文芸学部芸術学科卒。富山在住。主な訳書『クールジャパン一般常識』、新著(共著)『いちばん美しい季節に行きたい 日本の絶景365日』。北陸のWebメディア『HOKUROKU』創刊編集長。WebsiteTwitter 

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