日本から欧州へ。海を越えた鉄道「欧亜国際連絡列車」の知られざる歴史
直行航路が欧亜国際連絡列車に
1902(明治35)年には実際に、ロシアの極東にあるウラジオストクとの定期航路が開かれます。石川県の七尾港とも直行航路が開かれましたが、便数の多い敦賀に数年後には集約されていきました。
最初は、採算の確保に苦労したそうです。しかし、国際港としての存在感を次第に確立していくと、横浜・神戸・関門と並んで敦賀は、1907(明治40)年に第一種重要港湾に指定されます。
さらに、1912(明治45)年、ウラジオストクまで敦賀から欧亜国際連絡列車の運行が始まります。ウラジオストクとの定期航路開通からちょうど10年が経過したタイミングでした。
このころは、ヨーロッパ各国で、富裕層、および中産階級による鉄道旅行ブームが起きている時期でもありました。
ヨーロッパにおける長距離夜行列車オリエント急行など、ヨーロッパ各国を国際列車が走るようになり、その流れは、ロシアの極東を通じてアジア(日本)まで届き始めていました。
そこで、日本の国有鉄道が、シベリア鉄道など沿線の鉄道会社と契約して、国際連絡運転を実現させた形になります。
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