四日市公害を忘れない…。マンガで現代へと伝える三重県出身作家の話
――マンガを制作するきっかけを教えてください。
「私がマンガの新人賞『ちばてつや賞』を受賞した関係で、2年半前に三重テレビに出演したのですが、その放送日が、ちょうど四日市公害裁判の勝訴判決から41周年の日でした。その時にお世話になったディレクターの方が、四日市公害のドキュメンタリーも制作されていて、DVDを頂いたんですね。それまでは『四日市公害』は昔の話だと思っていて、全然関心がなかったんですが、DVDを見たら冒頭部分から引き込まれて。自分の地元の事なのに、知らないことばかりで衝撃を受けて。それをきっかけに、もっと地元を知りたいなと」。
――偶然頂いたDVDが関心を持つきっかけになったんですね。
「その後ディレクターさんが、『来月四日市公害の講座がありますよ』と教えてくれて、講座に足を運ぶようになりました。そこでも、心を揺さぶられる瞬間が何度もあったんです。講座では当時を経験した人々の葛藤や苦しみなどの生の声を聴いて、出来事の根底にある人の感情や想いを知れば知るほど、今の世の中と通じる部分が見えてきました。『公害問題』っていうとなんだか漠然とした大きな問題に感じるんですけど、いろんな方とお話をするなかで、自分たちの日常のことなんだなと感じるようになったというか。彼らの考えていることが、少しづつ自分事になっていったんです」。
――それが今回のマンガの制作にも繋がったと。
「私が今回描いたマンガは、決して四日市公害を知るためのマンガではありません。四日市公害に関する情報量は、物凄く少なくて。なるべく専門的な用語は使わずに、地元の話し言葉を用いて、子ども目線で物語が進行していきます。人の感情を中心に描いて、身近に感じられるマンガになればと思って制作しました。四日市公害という出来事を知りたいのであれば、既にさまざまな本や資料があるけれど、もっと身近に、気軽に触れてもらえるのはマンガかなと。自分はマンガを描いていたので、その能力を活かせたらという想いもあって」。
――「四日市公害」を自分事として考えるためのマンガにしたいという想いがあるんですね。
「小学校では、『四日市公害』を授業で習う機会がありますが、卒業してしまえば『昔習ったな』で終わってしまうんですよね。その先に触れたり、携わったりする機会はない。どうしても仕事や育児など、日常に追われてしまう。でも、マンガの焦点を子どもに当てたら、もし自分の子どもが公害で喘息になったら…と想像しやすい。当時を知らない世代の私たちにとっては、公害そのものにはとても想像できないけれど、人の感情を描けば、自分事に近づけるのではないかなと」。
――「ソラノイト~少女をおそった灰色の空~」で描き出された四日市公害に苦しむ少女とその家族の姿は、とても印象的でした。
「当時裁判で闘った人たちや、半世紀にわたって語り継いできた人たちは、間違いなく必要不可欠な存在です。彼らがいなければ、今の四日市の環境はありません。でも、当時『あかん』と思ってはいても、日常生活に追われ、行動に移せなかった人たちもたくさんいました。むしろ、そういう人がほとんどでした。当時は何も言えなかった人が、40年以上の時を超えて語り部として伝えられるようになった…そんな、人の弱さが強さに変わってゆく過程を、このマンガでは伝えたいと感じました。マンガを読んだ人々には、自分が今向き合っていることと照らし合わせたりして、公害とつながる部分とか、何らかの接点を見つけて欲しい。それが、いつか何かのきっかけになったらいいなと思っています」。
3月20日開催「よっかいちこうがい未来カフェ~若者が考える四日市公害~」
3月20日には当時を知らない若者たちを対象にした対話イベント「よっかいちこうがい未来カフェ~若者が考える四日市公害~」が、矢田恵梨子さんの企画によって開催されます。題材として用いられるのは、矢田恵梨子さんが制作した四日市公害マンガ「ソラノイト~少女をおそった灰色の空~」。
なぜ「四日市公害」を身近に思えないのか。どうしたら自分事になっていくのか。カフェのような雰囲気で席替えをしながら話し合う「ワールド・カフェ」の手法を用いて行われます。詳細はこちらから。
地域の歴史を自分事として問い直すこの機会、ぜひ足を運んでみてください。
えぐちはると
三重大4年。93年6月生まれ三重県桑名市在住。インタビュー団体「Lien」や『マチノコト』、名古屋シティガイド『IDENTITY名古屋』など、いくつかの媒体で記事を書いています。
- 記事提供:マチノコト
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