日本の最南端は東京都。都民の大半が知らない「東洋のガラパゴス」
かつてはBONIN ISLANDと呼ばれた島の歴史
さて、ここで小笠原の歴史についてちょっと触れましょう。先史時代には人類が住んでいた痕跡があるようですが、近年この島々が発見されたとき、小笠原は完璧な無人島でした。
BONIN ISLANDとは当時の小笠原の別名で、これは江戸時代の無人(ブニン)島がなまったものだそう。
19世紀初頭には島に人が住んでいた記録が残っていますが、それは欧米人やハワイ人などで、小笠原が日本領土となったのは明治9年(1876)のことでした。なんと、日本国となってまだわずか150年にも満たない島なんです!
そして、この小笠原の歴史を語るときなくてはならないのがSAVORY氏の存在。SAVORY氏は、初めて島に移民したひとりと言われるアメリカ人で、小笠原ではとっても有名な人なんです。
日本領土となった後、SAVORY家は日本人に帰化しているので、今でも小笠原には「セイボリー」や「瀬堀」を名乗るSAVORY家の子孫が暮らしています。
それぞれ元々は異なる人種の人々が東京都民として暮らす小笠原って、日本全国を見まわしてみてもかなりユニークな自治体ではないかと思うのです。
若人のパワーが未来をつなぐ、移住者にも開かれた島
2017年2月現在、父島の人口は2126人、母島の人口は468人。離島なので、けっして人口が多いというわけではありませんが、小笠原の特徴は人口に対して若い人の比率がものすごく高いこと。
島の集落を歩いていると、小さな子どもから中学生や高校生まで、とにかく子どもたちの姿が多いことに驚かされます。
これは、日本の他の離島ではあまり見られないもの。村役場では島民の平均年齢を公表していませんが、とあるサイトによると東京都の自治体において一番平均年齢が若いのが小笠原村とのデータも。また、移住者が多いのも小笠原の特徴です。
職業としてはダイビングやエコ・ツーリズムなど観光業に携わる人が多いので、おのずと年齢層が若くなるというのも頷けます。特産物としては、塩や島レモンがあげられ、近年はラム酒作りにも力を入れていれています。
小笠原でラム酒?と思うかもしれませんが、開拓初期の欧米系定住者たちによって原料となるサトウキビが栽培されラム酒製造の土壌は整っていたそう。
最近は、この「小笠原ラム」を、母島の海に沈めて海底熟成した新製品「Mother」も登場しているので、興味がある人はぜひお試しあれ。
そんな小笠原へのアクセスは、東京の竹芝桟橋から船「おがさわら丸」で24時間。よく知られたことですが、小笠原には飛行場がないため飛行機でのアクセスはできません。
東京〜小笠原間はおよそ週に1便(GW、夏休み、年末年始などは週に2~3便)の運航で、5泊6日(船中2泊、小笠原の父島もしくは母島で3泊)というのが小笠原を訪れる際の基本スケジュールとなります。
小笠原行きの船は欠航が多く、行ったら何週間もなかなか戻ってこれないという話をよく耳にしますが、そちらはどうやら都市伝説のようです。
去年新しくなった「おがさわら丸」は1万1035tの大きな船なのでよっぽどのことがない限り欠航にはならないそう。
船内には屋上デッキやレストラン、ラウンジスペースなどもあり、なかなか快適に過ごすことができます。
天気がよければデッキに出て地図でしか見たことのなかった島々の景色を楽しむこともでき、24時間の船旅も意外とあっという間。ただ、念のため酔い止めは必ず用意しておくことをおすすめします!
- image by:小笠原村観光局
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