志半ばで倒れたホテル王「セザール・リッツ」の成り上がり人生

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2018/06/20

必要とされるのは驚きと感動を与えるサービス

セザールは職を失った後、しばらく失意のまま教会の聖具保管担当係として働いた。だが、“俺はまだ頑張れる!”と、チャンスを求めてパリへ。そこで開催されていたエキスポのスイス館で給仕の仕事に就いたが、それが終ると、また仕方なく靴磨きをしたり、男性専用バーのドアマンをしたりして過ごしていた。

20歳のとき、幸運にもパリの一流レストランで職を得る。そこでは手腕を買われ、支配人にまで抜擢されるも、普仏戦争の勃発が全てを壊していった。

パリでの経験は短かった。だが、彼は自信をつけていた。“俺は人々を集めて店を流行らせることができるんだ”と。

その後、セザールはパリの超一流ホテル、スプレンディドメートルディーとして働く機会を得る。細身で手足の長いセザールには、黒のタキシードが良く似合った。

「ワッハッハッハー」

笑い声がレストランに響き渡った。

「おっと、これは失礼……」

男は周囲を見回しながら、雰囲気を乱したことを詫びた。

ワインボトルを傾げて持ちながら、セザールは囁くような声で言った。


「本当のことですよ。それが証拠に、医師が言っていました。高いワインを飲む人は長生きすると。なによりも心臓病で死亡する人が少ないそうです。毒素はじわじわと心臓にダメージを与えますから」

「セーヌ川の毒が心臓に回るのを、値段の高いワインが防げるというのか?」

男は首をひねる。すると、彼と同じテーブルに座っていた3人の女性のうちのひとりが言った。

「そう言えば、ワインを飲むと心臓病での死亡率が低くなるという話しは、聞いたことがありますわ」

男は鼻の下にハの字型に伸びているひげをなぜながら、彼女の顔を見た。

「いかがでしょう?」

セザールはボトルを彼らの目の前に差し出した。そこには“シャトー・ラフィット1848”と書かれていた。ボルドーのワインで最も高価な銘柄だ。

「わかった。わかった。負けたよ。それじゃ、2本空けようじゃないか」

「有難うございます」

毎晩、セザールは冗談めいた話をしてワインを売り込む。メートルディーになって半年もしないうちに、それまでの売り上げの2倍を記録し、オーナーを喜ばせた。

晩餐会では、宴会場一面にロウソクを敷き詰め、人々の歓喜を誘う。レストランでは、中央に小さな池を造ってゴンドラを浮かべ、ベニスを懐かしむ人々の郷愁を誘う。セザールの手配を見たくて、今宵も多くのゲストがやってくる。その中にはニューヨークから来た大富豪、コーネリアス・バンダービルトJPモルガンもいた。

セザールは言う。

「上流階級の人々はありきたりのことに飽きてしまっている。驚きと感動を与える演出こそ彼らが求めているものなのだ。それにはいくらお金をかけてもいい。見返りは十分すぎるほど戻ってくる。なぜなら彼らはそれだけの富をもっているのだから」

驚きと感動を与える彼の演出は、上流階級の人々の心を捕らえ、セザールのサービスを楽しむファンを増やしていった。

ゲストの言うことはいつも正しい

見習いのスタッフを見ると、セザールは自分が15歳のときに解雇されたことを思い出した。そして、見習いを見つけては、自分の経験で培った教訓を言って聞かせる。

「サービスマンは“できません”という言葉を使ってはいけないぞ」

セザールがそう言うと、アランはすかさず手を挙げた。“意見があるなら言ってみろ”とばかりに、セザールは人差し指を彼に向けた。

「不可能なことをしろと言われたら、どうしたらいいんですか? 昨日“南極の水が飲みたい”と無理なことを言われて、いじめられました」

「そういう時はだな……」

セザールは一瞬目を閉じてから“パン”と手を叩いて言った。

「そういう時は“探検家を見つけて、南極の水を持ってきてくれるようにお願いしてみます”と返事をするのがいい。きっと笑ってくれる。“無理です”と言えば、気分を害して二度と戻ってきてくれなくなるからな」

アランは目を大きく開いた。

「そんなふざけたことを言って、大丈夫ですか?」

「彼らが欲しいのは、自分を楽しませてくれるサービスマンだ。冗談を言ってきたのなら、冗談を返して笑わせるんだ」

アランが首を傾げると、セザールはフッと鼻から息を出した。

「どんなことを言われようとも、彼らに“無理難題を言う困った人”という態度を見せるなよ。味がおかしいと言われたら、何も聞かずに新しい食事と取り換えろ。ワインがまずいと言われたら、なにも聞かずに新しいワインと取り換えろ。そこに疑問を持つな。ただ“ゲストの言うことはいつも正しい”という気持ちを持って動くんだ。そうすれば、彼らはお前を指名してくれるようになる。それが自分のためなんだ」

「自分のためですか?」

アランはまた首を傾げた。

「そうだ」

「私はゲストのために働いているつもりです」

アランは人差し指で自分を指しながら言った。彼がサービスマンとしての誇りを訴えていることはセザールにもわかる。だが、セザールはアランの瞳を見つめながら説く。

人のために働いてどうする? 革命から70年以上も経つというのに、楽しい生活ができるのは、運よく上流階級に生まれた一握りの者だけじゃないか。この世は不公平だらけだ。だがな、ウエイターからでも這い上がり、富を手にすることは不可能ではない。そうなれば、上流階級の連中と同じく楽しい人生が送れる。自分が金持ちになって、同等な立場に立ち、ゲストに楽しい思いを分けてあげる。そんなサービスマンを目指せ!」

「私たちが金持ちになれるんでしょうか? 本当に?」

「なれる! 俺がなってみせるから見ていろ」

セザールは自分を指さしてから拳をつくり、アランの胸を突いた。

アランの目が潤んだ。自分は不可能としか思えない夢を可能にする男と一緒にいる。セザールの頼もしさに、心は張り裂けんばかりだった。

セザールの目じりが少しだけ下がった。

「だがな、アラン。たとえ金持ちになれなかったとしても、心は金持ちであれ。いつも高貴な心をもってサービスをするんだ」

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