志半ばで倒れたホテル王「セザール・リッツ」の成り上がり人生
セザールの晩年
1901年ビクトリア女王が崩御すると、プリンス・オブ・ウエールズが国王となりエドワード7世の時代が始まった。セザールは1902年6月26日に行われる戴冠式の手配を依頼される。現状に行き詰まりを感じていたセザールは、迷いを払拭するかのごとく、この名誉ある仕事に没頭していった。
「社長、メッセンジャーが通知をもってきました」
カールトンホテルのスイートにいたセザールは手紙を受け取り目を通した。
“親愛なるセザール・リッツ様へ。国王の体調がすぐれません。この状態では戴冠式は無理と判断いたしましたので、2日後に迫った戴冠式を延期することにいたします”
「なんだって!」
セザールは身を震わせた。充血した目を閉じ両手で頭を押さえた。そして、なんどもつぶやいた。
“なんということだ。なんということだ。なんということだ!”
そこへマリーが入ってきた。
「あなた……」
セザールはただ一点を見つめたまま静止していた。その異常な姿に驚き、マリーはセザールをうしろから抱きしめた。
「大丈夫よ。なにも心配いらないから」
「マリー。大変なことが起きたんだ。大変なことが……」
マリーはセザールを支えながらオフィスに連れて行った。セザールはぼうっとした目でアランを見た。
「15分後に緊急ミーテイングを開く。各部署のトップを召集してくれ」
「じゅう、15分後ですか! か、かしこまりました。すぐに行ってまいります」
アランがオフィスを飛び出して行く。
15分後、各部署のトップ6人が集まっていた。マリーはセザールの横を離れずに黙って座っていた。皆を前にセザールが話し始める。
「国王の容態がすぐれないため、明後日の戴冠式は延期となった」
6人は互いに顔を見回しあった。
「そ、そんなバカな。ここまで来て!」
最初に宴会部長のエドワードが大きな声を出した。
「大変な損害となりますぞ!」
購買部長のデイビッドが続いた。
全員がそれぞれ言いたいことを口にし、ざわめきが起き始めた。そのとき、セザールが右手を挙げた。6人はとたんに口を閉じた。
「心配はいらない。私と国王の間柄はみんなが知っている通りだ。だから、これから5分したら、それぞれオフィスに戻り、キャンセルの準備に取りかかって欲しい。わかったか?」
「はい、わかりました」
6人は口をそろえた。
マリーはセザールの様子が普通に戻ったのを見て小さなため息をついた。そして、セザールから目を離しドアに向かって歩き始めた。そのときだった。ドサッ!と大きな音がして、マリーは振り向いた。
「あっ! 誰か、お、お医者様を呼んできてちょうだい」
セザールが倒れてから10日後、リッツ・シンジケートの役員会が開かれた。その席でマリーは言った。
「セザール・リッツはこの席にはもう来れないかもしれません。これからは、私が代わりに、会合に参加させていただきます。彼のメッセージを伝えるために」
アランはうつろな目をしてそれを聞いた。パリのレストランで下働きを始めたときから、自分を励まし続けてくれたセザールがもう戻ってこれないかもしれない。そう思うと、生きている望みさえ消えていくような気分だった。
会議の後、アランはマリーに歩み寄った。
「奥様、旦那様のご容体はいかがですか?」
マリーは左右に首を振った。
「そうですか……これからどのようにするおつもりですか?」
「少しづつ資産を手放すつもりです。株主たちも私を煙たがっているのかもしれません」
「そんなことはありません。もしそうだとしたら、私が許しません!」
「有難う。アラン」
海を渡りニューヨークへ
リッツ・シンジケートは活動を続け、1905年ロンドンに、1906年マドリッドに、それぞれリッツ・ロンドンとオテル・リッツをオープンさせた。
また1905年には、ドイツの汽船会社が運営するSSアメリカーナ号の中にリッツ・カールトンという名のレストランを始めた。その役割はシェフのエスコフィンが引き受けた。だが、セザールはそれらのプロジェクトに直に参加することはできなかった。
それから5年の歳月が流れた。セザールは療養所で、幻覚に悩まされながら“大きなホテル”の絵を描く日々を送っていた。
そうしたある日、ニューヨークから一人の男がやってきた。リッツ・ブランドをアメリカで展開させたいという。
ニューヨークにホテルをオープンさせることはセザールの夢だったが、既にセザールはリッツ・シンジケートの役員から外されていた。マリーはアランの手配で、役員会に出席できる状態にはあったものの、セザールなき今、海の向こうでリッツ・ブランドを展開することは不可能と感じていた。
役員会の意見はまとまった。“ニューヨーク在住の企業家アルバート・ケラーに、アメリカでのリッツ・ブランドの使用権を売ることにする”と。
アルバート・ケラーはリッツ・ブランドの名称を、ハンブルク-ニューヨーク間の汽船内で営業しているレストラン名から取り、リッツ・カールトンとした。
そして1911年、アメリカ初のホテルをニューヨークのマディソン・アベニューの46ストリートと47ストリートの間にオープンさせた。続いてボストン、フィラデルフィア、ピッツバーグ、アトランティックシティー、ボカラトンにもリッツ・カールトンをオープンさせることに成功する。だが、その行く手にはグレート・ディプレッション、世界恐慌が迫っていた。
1918年10月26日、セザールは療養所で最期の日を迎えた。
“死期が近い”との連絡を受け、療養所へ向かったマリーだったが、2日の差で彼の最後を見届けることができなかった。
彼女はセザールの墓を、彼の生まれ故郷であるスイスのヴァリス州ニーダーヴァルトに移動させた。自分が死んだとき、若くして命を落とした次男と3人で安眠できるようにと望みを託して。
(つづく)
(注)登場人物や登場人物の言動が実際のことと必ずしも一致しているとは限りません。