2020年大河ドラマをより面白く見るための「細川幽斎」予備知識
地元小学生による田辺籠城戦の講談
「まいづる細川幽斎田辺城まつり」@舞鶴公園
籠城戦で大活躍した幽斎を偲び、武人として、また文化人としての功績をたたえる「まいづる細川幽斎田辺城まつり」は、籠城戦のストーリーを順に展開していきます。
毎年5月に開催され、時代行列や芸能にまつわる催しは特に見応えがあります。今年(2019年)28回目を迎えました。
中でも小学生による講談は全国的にも珍しく、田辺城まつりの名物のひとつ!!
前夜祭で毎年行われる講談「田辺城籠城の一席」は明倫小学校5年生(有志)約20名がそれぞれに配役を演じ、公演時間は約50分にも及ぶ大作です!
地元の歴史を学んで次世代に繋げていく小学生の熱演を是非ともご覧ください。
幽斎が創建、田辺城の遺構が残るお寺
幽斎ゆかりの瑞光寺
幽斎が舞鶴に親しみを感じていたことかがわかるお寺をご紹介します。
本能寺の変のあった直後の天正10(1583)年9月に幽斎が建立にとりかかり、11年の歳月をかけて完成させます。落慶の際には幽斎が本堂で能を舞い、宴を開いたという記録も残っています。
幽斎が惚れ込んだ優秀な小浜の武士だった「釋明誓(みょうせい)」を初代住職として迎えました。釋明誓(楠源吾)は、楠正成の流れをくみ幽斎の妹・さちの婿になった人物です。
お寺の至る所に細川家の家紋と同じ寺紋「九曜紋」があります。関ヶ原の合戦で忠興が陣旗に記したことでもよく知られていますよね。
田辺城の門を移築した山門とされています。元はお城の門だったため馬に乗って通れる高さになっていて、通常の山門よりも大きいのが特徴です。
関ヶ原の合戦の功績により細川家は九州に赴きますが、お金も時間もかけて完成させたお寺を舞鶴に置いていった幽斎の心境はどのようなものだったでしょうか。
- 浄土真宗本願寺派 不動如山 瑞光寺(ずいこうじ)
- 京都府舞鶴市寺内100
- 0773-75-1045
- JR西舞鶴駅から徒歩15分
- ※通常非公開、山門は道路から見みることができます
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