【お酒と文学】ジャック・ロンドンが安住の地を求めたソノマのワイン
自然回帰を願ったソノマ
ベストセラー作家になったロンドンはその後も精力的に作品を発表し続けますが、書斎の中に留まるタイプの作家ではありませんでした。ロンドンは社会党員として労働問題の活動家でもあり、ジャーナリストでもありました。
日露戦争の際には従軍記者として再来日もしていますが、その際もわずか4カ月の滞在中に3回も不審容疑で逮捕されるなど、ロンドンの伝記作家は題材に困ることはありません。
そんなロンドンが都会の生活から逃れ、自然のなかで安住の地を求めたのが、カリフォルニア州のソノマ郡にあるグレンエレンと呼ばれる土地でした。
ソノマはナパと並ぶ、カリフォルニア・ワインの産地です。サンフランシスコ湾の北に位置して、わずか100キロほどしか離れていませんが、そうとはにわかに信じがたいほどの美しい丘陵地帯です。
ロンドンはあるワイン農家の広大な敷地を買い取りました。そこで2人目の妻であるシャーミアン夫人と自然のなかで穏やかに過ごすことを祈り、この土地を「Beauty Ranch(美しい農園)」と名付けました。
文学者がつけたにしては捻りのない命名だとは思いますが、ロンドンの心からの願いが込められていたのでしょう。
どんな短い人生にも春夏秋冬があるという意味の言葉を述べたのは吉田松陰ですが、ロンドンの40年間の生涯では、ソノマに移り住んでから亡くなるまでの約10年間は冬の季節だったのかもしれません。
とはいっても、相変わらず、ロンドンの人生には安息はありませんでした。ソノマでは自然農法にのめり込むと同時に、自ら購入した船を操り、世界一周航海に挑んだりもしています。
そしてロンドンは巨費を投じて建設中だった完成間近の邸宅が留守中に火事で燃え落ちるという不運にも見舞われました。
ロンドンはこの邸宅を「Wolf House」と名付け、終の棲家にしようとしていました。保険は建設費の一部しかカバーされず、巨額の借金を抱えたロンドンは、返済のためにそれまで以上のペースで作品を書き続けなくてはいけませんでした。
そのころのロンドンは1日1,000語以上の執筆を自らのノルマとして課していたといわれています。
そのため、どうしても質より量を求めた文章も多く残されているようです。晩年のロンドンが出した作品は必ずしも高い評価を受けていません。
極めて活動的な冒険家でありながら、ロンドンは多病でした。アラスカで罹った壊血病の他に、世界一周航海中には感染症にも罹り、赤痢や腎不全、そして重度のアルコール依存症の症状にも苦しんでいたといわれています。
それらの痛みを和らげるために大量に摂取していたモルヒネの中毒が原因で死亡したといわれています。40歳という若すぎる死であったため、絶望のために自殺したのだという説もいまでもなお有力です。
ロンドンが所有していた農園は現在では州立公園になっています。
広大な敷地内にはワイン小屋を改装したコテージ、焼失した邸宅の跡、遺品や写真を展示した記念館、そして自然石で作られたロンドンの墓などが点在。ワイン畑や池をめぐってトレイルを歩くことができます。
ロンドンは火葬され、その灰は墓石の下に撒かれました。39年後、83歳で亡くなったシャーミアン夫人の灰もロンドンと同じ場所に眠っています。
州立公園の周辺には試飲もできるワイナリーがたくさんあります。オリーブオイルもこの地の名産品のひとつです。
けっして有名な観光地ではない静かな土地ですが、北カルフォルニアの美しい自然と美味しいワインを堪能したい人は、新型コロナウイルスが落ち着いたころに、ぜひ訪れてみてはいかかでしょうか。
- 参考:Jack London State Historic Park
- image by:角谷剛
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