ロマンを求めて。日本最西端「与那国島」に眠る古代文明
なぜだかわかりませんが、“国境”という言葉にはロマンをかきたてる何かがかるように思います。島国である日本はすべての国境が海の上にあるため、普段あまり国境について考えることがありません。
そんな日本において“国境”を感じさせる場所といえば、台湾までわずか約111kmという距離に位置する日本の最西端の島である「与那国島」です。八重山諸島の一番端の島となりますが、石垣島からの距離は約127km。沖縄県那覇市からはなんと約520km!
地図で与那国島の場所を見てみると、ここを沖縄と呼ぶのはそもそも無理があるということに気づくはず。石垣島よりも台湾のほうが近いこの島では、晴れた日には西の高台から遠く台湾の山々を望むことができるのです。
島名に“国”とつくこと自体がユニークなこの島は、沖縄のほかの島の人々からしてもかなりユニークな存在として認識されています。別名“どなん(渡難)”の愛称で呼ばれますが、これは渡るのに難儀する島という意味絵です。
地理的には八重山に属しますが、厳しい海域に囲まれたこの島は16世紀に琉球政府の支配下となるまでは事実独立国家で、その歴史的背景からすると当然民族文化にも独自性が強く見られます。
本土では与那国島も含めて八重山と紹介したり、八重山も含めて沖縄とくくるのが普通ですが、現地では八重山の人たちはみな与那国のことを「八重山人(やいまんちゅー)」だと思っていませんし、同時に与那国の人たちもまた自分たちのことを八重山人とはつゆとも思っていず、与那国人と思っています。
「与那国は島ではなく、あそこは与那国という国だから」というのが沖縄の人々の共通認識のようです。ということで、なんとも個性極まる与那国島についてお話しましょう。
巨大な身体を持つ伝説の女酋長の島
与那国島を語るときに、忘れてはならないのが伝説の女酋長「サンアイ・イソバ」の存在です。史書などによると、1,500年ころサンアイ・イソバという女酋長が島を統治していたことが残されています。
与那国島では早くから稲作が行われていましたが、サンアイ・イソバは自ら島人たちと一緒に田畑を耕し、島を開拓し、宮古島と貿易を行うなどのほか祭事にも優れ、平和的にこの島を治めていたと伝わります。
なんと2mも超える巨大な身体の持ち主で、4人の兄弟を島に配し、政治・外交・戦術の上でもその類稀な能力を発揮していました。
この時期、八重山の島々が次々と琉球王国に攻められ琉球支配となったにもかかわらず、イソバ存命中の与那国島は琉球軍や宮古軍に屈することなく独立国家を守り抜いたのですがから、名君だったことがわかります。
いまでも島には数々のイソバ伝説が残り、祖納集落の高台にはイソバの住居地であったと伝わる「ティンダハナ」があります。ちなみに、サンアイとは島言葉でカジュマルのこと。ティンダハナからは祖納とその先へ続く青い海が一望でき、島の観光ポイントとなっています。