江戸時代の日本人たちが世界をザワつかせた「人魚づくり」物語
何の分野でも、日本の技術力は世界で高く評価されています。数カ月前に漆器の産地で伝統工芸を見てきましたが、もちろん海外からの評価は高いそう。工業製品などの分野でも、日本の技術力は世界屈指のレベルを誇っています。
実はこの日本のモノづくり、古くからさまざまな分野で世界を驚かせてきた歴史があります。
例えば、日本の江戸時代の漁民がつくった精巧な人魚が、アメリカの博物館に展示された当時、大きなセンセーションを起こした歴史があるとご存じですか?
現代にまで語り継がれてきた人魚伝説。今回は、日本が生んだ「人魚」について、世界の歴史とあわせてご紹介していきます。
江戸時代に入ってきたヨーロッパの人魚像
そもそも人魚といえば、どのような生き物を想像しますか?
下半身が魚で、上半身は半裸の若い女性。そして髪が長く、髪の毛で胸を隠していたり、貝がらを胸にあてていたりする姿ではないでしょうか。ディズニー映画『リトル・マーメイド』などにも登場するので、みなさん共通のイメージがあるかと思います。
この共通点は、人魚=美しく若い女性。しかし、こうしたイメージはあくまでも、デンマーク人の世界的な童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805~1875)が描いた『人魚姫』が、後世に決定的な影響を与えていると考えられています。
もちろん日本も一緒で、明治維新により西欧の文化が一気に入ってくるようになると、1837(天保8)年に書かれたアンデルセンの『人魚姫』が日本にやってきます。その影響が日本人の人魚像のモデルをつくっていくのですね。
プラスして日本には、鎖国をしていた江戸時代にも、ヨーロッパの人魚像が入ってきていました。
鎖国の時代でもオランダと中国は例外で、オランダからはジョン・ジョンストン(ヨンストン)著『動物図譜』という書物が、幕府に献上されていたといいます。
『動物図譜』の第2部「異国の魚類」の第3章では、イラスト付きで「人魚」が紹介されています。この書籍は長く幕府の文庫に眠っていたとされますが、1768年に大槻玄澤によって著訳されました。
著訳された『六物新志』という題名の本には、「人魚」についての解説が30ページほどとかなり充実しています。そのなかにはオスとメスの「人魚」のイラストも含まれています。この人魚も、やはりどちらかといえば、現代人が想像する人魚といった感じです。