江戸時代の日本人たちが世界をザワつかせた「人魚づくり」物語
中国や日本の人魚は、もともと違う姿だった?
それ以前の日本には、異なる人魚のイメージがありました。ひとつは、以前ご紹介したTRiP EDiTORの記事「人魚のモデルになった深海魚。福井で2匹が目撃された『リュウグウノツカイ』」でも語られていた、八百比丘尼(はっぴゃくびくに/やおびくに)伝説ですね。
北陸地方を中心に日本全国に残る人魚伝説で、民俗学者である柳田国男(やなぎだくにお)氏によれば、日本に大和朝廷があったころに生まれた伝説ではないかと考えられるそう。
内容は地域によって細かい部分が異なるものの、人魚の肉を食べた若い娘が永遠に近い若さを手に入れ、800歳まで生きるという話です。その後、長生きに苦しみを感じ始めた娘が尼になり、最後は洞窟(どうくつ)で入定したのだとか。
その伝説に出てくる人魚は、日本海側で時折発見される、リュウグウノツカイという深海魚がモデルになっているといった意見もあります。
また別の人魚の姿として、奈良から平安にかけて中国から伝わった、漢の文献の影響もあります。
例えば、中国の古代の神話や地理について書かれた『山海経(さんがいきょう/さんかいけい)』が筆頭です。『山海経』は全18巻あり、そのなかには不思議な生き物として、「人魚」という言葉が使われています。
日本で人魚に関する最も古い記述が見られる文献は、一般的に『日本書紀』といわれています。
しかし、実際は「其(そ)の形、児の如し。魚にも非ず、人にも非ず、名けむ所を知らず」という表現が見られるだけで、人魚という言葉は見られません。
実際には先ほどの『山海経』が9世紀に日本に入ってきて、その書物を出典の一部に生まれた日本最古の漢和辞書『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』に初めて、「人魚」の言葉が出てくるのだとか。
その「人魚」の辞書的な解説は、魚類のひとつに人魚を分類し、「魚身人面者也」と書いています。
ただ、出典元の『山海経』で描かれる人魚は、現代のわれわれが想像する人魚とは全く異なる姿。魚に4本の足が生え、海ではなく川に住む生き物として描かれています。
ほかにも上述の書籍には、氐人国に住み、下半身が魚、上半身が男性の川に住む生き物「氐人(ていじん)」、魚の体に人間の手足と、人と猿の間のような顔を持つ海の生物「陵魚(りょうぎょ)」も紹介されていますが、言い換えれば中国や日本で古くから伝わっていた人魚は、アンデルセンの人魚とはかなり姿形が違っていたのですね。