『鬼滅の刃』の「遊郭」は、実際にどんな街だったのか?その歴史をめぐる

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2022/02/13

子どもから大人まで、多くの人が夢中になった『鬼滅の刃』(著・吾峠呼世晴/集英社)。原作の漫画からスタートしアニメ化され、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は歴代映画興行収入1位を更新。

2021年12月5日からは「遊郭(ゆうかく)編」のアニメが始まり、まもなく最終回を迎えます。ただ、実際問題として「遊郭」とはどういった場所なのか、きっと正確に伝えられる人は少ないのではないでしょうか。そこで今回は遊郭の歴史をまとめてみました。

※本記事は新型コロナウイルス感染拡大時のお出かけを推奨するものではありません。新型コロナウイルスの国内・各都道府県情報および各施設の公式情報を必ずご確認ください。

時の幕府や政府が公認した「遊郭」

1872(明治5)年ごろの東京の「吉原遊廓」image by:極東, Public domain, via Wikimedia Commons

遊郭とは、そもそもどういった場所だったのでしょうか。何となくイメージでいえば「風俗街」という人が多いかもしれません。そのざっくりとしたイメージがあるために、「子どもに説明しにくい」という声も出てくるのだと思いますが、実際はどうなのでしょう。

まず、辞書を調べてみました。岩波書店『広辞苑』を調べると、以下の記載があります。

<多数の遊女が屋が集まっている一定の地域。>(『広辞苑』より引用)

あらためて「遊女」を『広辞苑』を調べてみると、このような記載がありました。

<安土桃山時代以降、遊郭が公許されてからの公娼・私娼の称>(『広辞苑』より引用)

まず、この説明にある「遊郭が公許」という言葉が、遊郭を理解する上で大事になってきます。そもそも性的なサービスを提供する代わりに、金銭を受け取る遊女たちの仕事場は、古くから日本の各地に存在していました。

それこそ、遊女の記録が残っている最古の文献は『万葉集』にまでさかのぼります。万葉集の編さんは、奈良時代後期。ずっと昔から遊女は存在していました。

その遊女が働く場所が、いまでいう風俗街です。さらに風俗街のなかでも、時の幕府や政府が公認した場所を遊郭といいました。例えばその遊郭の代表が、東京の「吉原」です。

東京「吉原神社」image by:photoAC

権力が公認した風俗街が吉原で、それ以外を「岡場所(おかばしょ)」と呼びます。岡場所とは、公認の遊郭の「外(ほか)」の場所という意味で、岡場所といわれたそうです。


東京(江戸)で遊郭は吉原の1カ所。岡場所は深川・こんにゃく島、築地などの水辺、品川、新宿などの宿場町、上野、根津などの門前町に、たくさんありました。

『鬼滅の刃 遊郭編』で出てくる遊郭とは、同じサービスを提供する場所のなかでも、岡場所ではなく、時の権力が公認した街を意味していたのです。

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