ハードボイルドの傑作『男たちは北へ』の聖地、大間崎から函館を眺める
1989年に刊行された風間一輝著『男たちは北へ』は、稀に見るハードボイルドの傑作です。自転車旅行の途中で自衛隊のクーデター計画に巻き込まれるというプロットはともかくとして、登場人物やセリフの格好良さはレイモンド・チャンドラーの諸作品にも劣らない、と私は考えています。
この作品の主な舞台となるのは東京から青森へと続く国道4号線ですが、下北半島最北端でもあり本州最北端でもある「大間崎」という地名が繰り返し語られます。
大間崎に立つと海の向こうに函館の街がまるで手に届くようなくらい近くに見える、ということが重要なモチーフになっているからです。
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作者自身が投影された主人公像
主人公はフリーランスでグラフィックデザイナーという自由業を営む44歳の男性。アルコール依存症でもあります。ある日、自宅がある東京から自転車で青森へ向かいます。そのきっかけは高校時代からの友人が残した言葉「悔しい」でした。
その友人は若いころにやはり自転車で青森まで行き、大間崎から函館を眺め、北海道に渡りたいと強く感じながらも、仕事をそれ以上休むことができずに断念。
主人公はその話を聞いて、心底からその友人を羨ましいと思いました。そして自分もそのような悔しさを感じるために、この自転車旅行を決意しました。並大抵のことではありません。何日もかけて、自らの脚力だけを頼りに、いくつもの山を越えていくことを意味します。
作者はヘミングウェイの言葉を引用して、こう主人公にいわせています。
「地図上の国境はただの線だが、それを自力で越えたことのある者だけが、その線の太さを知っている」
果てしもなく続く急坂をあえぎあえぎしながらペダルを踏む主人公の筋肉のきしみや心臓の鼓動を描写した場面には圧倒的なリアリティーが感じられます。
大雨に襲われ、アルコールが切れたのに宿が見つからないときの恐怖感も切実に伝わってきます。それは作者が実際に主人公と同じ体験をしたからでしょう。
前書きにはこうあります。
「旧友・吉川忠幸の思い出に(中略)本書はフィクションである(中略)ただし、作者は本書とまったく同じスケジュール・装備で、東京・青森間の自転車旅行を実施した」
年代を越えた男同士の友情
本作品の重要な登場人物に主人公と同じ国道4号線をヒッチハイクで旅する15歳の少年がいます。ヒッチハイクもまた自転車旅行に負けず劣らず、過酷な旅です。
手を上げても止まってくれる車は少ないので、路上を延々と歩き続けることもあれば、寝る場所もなく途方にくれることもあります。このふたりが出会ったのも、お互いが野宿の場所を探しているときでした。
自転車乗りでなくても、ヒッチハイカーでもなくても、ひとり旅の経験があり、そのヒリヒリした感覚を覚えている人なら、主人公と少年に感情移入ができるでしょう。
主人公から大間崎の話を聞いた少年は自分もその地を目指すことにします。そして旅を続ける少年はたくましく成長していきます。約30歳年上の主人公は少年と出会う度にそれに驚き、そして少年をひとりの男として友情を感じ始めます。
東京からほぼ一直線に青森へと続いていた国道4号線は、下北半島の南端である野辺地町で国道279号線と分岐します。左折して4号線を西に向かえば青森駅、右折して下北半島を約100kmほど北へ向かえば大間崎です。
主人公と少年は大間崎から函館の街を見ることはできたでしょうか?そして憧れの北海道へ渡ることはできたでしょうか?そこはやはり作品の根幹をなすパートですので、ここでは触れません。ぜひ読んでみてください。
ロードムービーのような極上のハードボイルド
『男たちは北へ』はミステリー、あるいはサスペンス小説の体裁をとっていますが、私にとってこの作品の本質はそこにはありません。
まず過酷な旅を描いた冒険小説であり、男の友情を描いた小説であり、少年の成長を描いた小説であり、優れたスポーツ小説であり、何よりも極上のハードボイルド小説です。未だに映画化されていないのが不思議なくらいです。
主人公が死んだ友人に悪態をつきながら、涙を一滴も流さずに弔う約束を守って酒を呑む場面、そして主人公と少年が別れるラストシーンのこの1行には鳥肌が立ちました。
「俺は南へ帰る。少年は、いや、男は今、北へ旅立った」
作者の風間一輝氏は本作が処女作でした。その後、本書の登場人物たちが登場する、ゆるやかな連作のハードボイルド小説をいくつか発表しましたが、惜しいことに1999年に他界しました。
本書の主人公と同じように、またチャンドラーやジャック・ロンドンのように、お酒を飲みすぎる傾向があったようです。氏の数ある作品のなかでも、アルコール依存症の男3人が断酒に挑む『地図のない街』が、私のなかでは本書の次におすすめです。
- 参考:ハヤカワ文庫『男たちは北へ』
- image by:角谷剛
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