料理で町は元気になる。過疎地に80万人の観光客を呼んだ奇跡のシェフ
過疎地に80万人の観光客~「美味しい料理が村を変える」
連日盛況の「マッカリーナ」だが、立ち上げ当初、今の大成功を予想した者はいなかった。
かつての真狩村には観光客の姿はなく、村は過疎の一途をたどっていた。有名なのは歌手、細川たかしの出身地ということだけの村だった。
この状況をなんとか変えたいと思ったのが村長だった八田昭七さん。名の知れた中道が真狩の水や食材に惚れ込み、ここに店を作りたがっていると聞き、村と共同出資でやらないかと持ちかけた。ところが、「こんな田舎でフランス料理ができるのかと、議会の承認を得るのに大変苦労しました」(八田さん)
村議会は紛糾し、ほぼ半数が反対。「村長、責任取れんのか?」「赤字になったら、どうすんだ!」と怒号が上がった。20年前、揉めに揉めた現場を目撃したのが、現村長の佐々木和見さんだ。
「ちょっと言葉が悪くなる場面もありました。『うまくいかなかったら村長が責任を取れ』とか」。
その状況を聞いた中道は、腹をくくる。母親の家の建築費用に貯めていた3000万円を持ち出し、「これで責任は取るから」と、真狩村の議会を認めさせたのだ。
「みんな思っていましたよ、お客が本当に来るのか、と。覚悟をして、3年間はお客が1人も来ないという事業計画でやっていこうと思ったんです」(中道)
一筋の光も見えない中での船出だったが、予想外の出来事が起こる。当時、日本でオーベルジュはまだ珍しい時代。オープンするとメディアが食いつき、これが大きな宣伝となり、客が大挙して押し寄せてきたのだ。
「マッカリーナ」は大成功。すると真狩村も注目を集め、人口2000人余りの村に年間80万人もの観光客がやってくるようになったのだ。
人が集まると、生産者にも変化が。地元の若手農家、三野農園の三野伸治さんは、真狩の新しいブランド野菜として、西洋ねぎを作るようになった。「マッカリーナ」も頼りにしている食材だ。三野さんはその変化を「若い人が真狩村に帰ってくるんです。そういうイメージ作りに一役買ったと思う。帰ってきやすくなったというか」と、語る。
実際のデータ上でも、49歳以下の農業経営者が占める割合が全国平均の5倍になった。若い生産者は新しい農業も始めた。三野さんはドローンを農業に導入した。北海道の広大な農地は見回るだけでも大変だが、これなら家にいながら3キロ先までチェックできる。こうしてきついばかりだった農業が変わっていく。
美味しい料理が村を変える。これが中道の原点だ。
絶品を生む秘密を大公開~業界を支える人材育成術
寒さの厳しい美瑛には、冬はほとんど観光客が来ない。このオフシーズンの間、オーベルジュ「ビブレ」は人材育成の場に変わる。ここで中道は料理人を育てる「美瑛塾」を始めた。「自分の店を持ちたい」という夢を持つ者に、月8万円でノウハウを教えている。
講師役はラパンフーヅが誇る、星つきレストランのシェフたち。その授業スタイルはひたすら実践的で、必要であれば、高価な食材も普通に使っていく。 時には早朝の特別授業も。暗いうちから「ビブレ」で出すパン作りに、塾生が打ち込んでいた。
40歳の柴田夕也は札幌のコーヒーチェーンの元店長。「ビブレ」のような人を感動させるパンを出す。そんな喫茶店を開こうと思い入塾した。
「喫茶店は食べ物に力を入れているところが多くない。それを専門にしているところに引けをとらないものを出すお店を出したくて」(柴田)
この塾の狙いを、塾長の齋藤壽は「今の料理人の教育では、現場に入ったときにすぐには役に立たない。実践として料理とはどういうものかを理解してもらうのが一番大事なことだと思っています」と語る。
即戦力の人材を育てる。そのためにオーベルジュに客がやってくるシーズンになると、塾生はスタッフとして働き、時給をもらいながら即戦力となれるよう修行を積む。授業料はこのバイト代で相殺される仕組みだ。
さらにこんな授業もある。トラクターを運転しているのは美瑛塾の生徒。この日は野菜を仕入れている農家で作業を手伝う研修だ。トマトをさらに大きく育てるための紐を、上に伸ばしてつけていく。これも料理人修行の一つだ。
こうして作業を手伝う事で生産者の苦労が分かれば、その食材の価値も、身をもって理解できる。
生徒の一人は「ただ本とか人に聞いて知っているというのとは違って、自信を持っていいものだと、お客さんに喜んで食べてもらいたいという気持ちにつながってくると思う」と言う。
食材の価値を知る即戦力の料理人。中道はこうした人材を世に広めようとしている。