空港からラテアートまで。坂本龍馬の足跡を1日で歩く、長崎の旅
長崎は歴史的な見どころが多い街ですが、今回は日本の歴史上の人物の中でも人気の高い「坂本龍馬」の足取りを追いながら長崎の街並みを紹介してみたいと思います。龍馬ファンにはお馴染みの長崎の観光スポットが出てくるかも知れませんよ。
玄関口「長崎空港」にある長崎の巨匠が描いた坂本龍馬
長崎の空の玄関口である「長崎空港」に龍馬に縁の場所が?飛行機を降り立つと目の前に見えるのは特徴ある「龍馬」の絵。この絵は長崎が誇る巨匠!蛭子能収氏が描いた坂本龍馬。「長崎歴史文化博物館」で開催された御本人の個展のカンバンが寄贈されているようです。
蛭子さんは九州最古の商業高校、長崎市立長崎商業の美術部に所属し卒業後は長崎でカンバン屋に勤務。その後上京してシュールで不条理なストーリを得意とする漫画家となりました。タレントの印象が強いですが本職は漫画家です。
蛭子能収さんの独特な坂本龍馬の絵から龍馬の足跡旅はスタートです!
- 龍馬の足跡旅データ:長崎空港
- 住所:長崎県大村市箕島町593番地
師匠の勝海舟の定住の場所、本蓮寺にも立ち寄った?
長崎空港からシャトルバスで到着する長崎駅。長崎駅を背に立山方面へ歩くこと5分。そこには日蓮宗の寺院である「本蓮寺」が見えてきます。「本蓮寺」はキリスト教の禁教令が公布されるまでは「サンジョアン教会」と「サン・ラザロ病院」が開かれていた場所です。
禁教令後に「本蓮寺」は創建され一乗院と大乗院という塔頭があり、一乗院にはシーボルトが二度目の長崎訪問で宿泊、大乗院には勝海舟が4年ほど寓居した寺院です。1945年の原爆投下で全山焼失し本堂を再建、今に至ります。
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勝海舟は坂本龍馬の師匠にあたる人物。坂本龍馬は勝海舟に同行して長崎を訪れています。龍馬の宿泊地は「本蓮寺」の近所にある「福済寺」。当時の「福済寺」の本堂は国宝に指定されていました。しかし「本蓮寺」同様、原爆投下で焼失し面影は残っていません。
歩いて数分の距離にある「本蓮寺」と「福済寺」。そのため龍馬は長崎滞在中に勝海舟を訪ねて「本蓮寺」に頻繁に足を運んだと想像できます。
「本蓮寺」がある通りは、現在は舗装整備されていますが、道幅は細く坂本龍馬の時代から現存していたと思われます。この通りを闊歩するだけでも坂本龍馬と気持ちをシンクロさせて、長崎の街をぶらり観光することができそうです。
また「本蓮寺」には坂本龍馬らが立ち上げた海援隊の隊士「沢村惣之丞」など土佐人が眠る墓があります。坂本龍馬と時を同じく戦った隊士の墓に立ち寄ってみるのも良いかも知れません。
- 龍馬の足跡旅データ:本蓮寺
- 長崎市筑後町2-10
龍馬がいろは丸事件で談判を行った聖福寺へ
「本蓮寺」から歩くこと8分。玉園町にある「聖福寺」へ。「聖福寺」は「福済寺」、「興福寺」、「崇福寺」とともに「唐四カ寺」または「長崎四福寺」と呼ばれ、「長崎に残る中国」でもご紹介した寺院です。さだまさし原作の映画「解夏」の撮影地となり、歌舞伎役者の八代市川團十郎、七代市川海老蔵の先祖供養塔があります。
「聖福寺」にある「万丈」では、坂本龍馬が乗船していた「いろは丸」が瀬戸内海で紀州藩船の「明光丸」と衝突して沈没した賠償の談判が行われた場所と言われています。(いろは丸事件)
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- 龍馬の足跡旅データ:聖福寺
- 長崎市玉園町3-77
龍馬が案内する急坂を抜けた先には、ファン垂涎のお宝スポットが