米国ホテルの栄枯盛衰。「グランドハイアットNY」を導いたトランプ物語
日本のバブル経済を生んだ2つの要素
それから10年後の1986年。前年末に30ドル以上あった1バーレルの原油価格が2月に15ドル以下に急落。さらに3月末には、10ドルにまで迫った。世の中の多くの物は原油を元に成り立っている。
原油価格が下がれば、火力発電による電気料金が安くなる。運送業の利幅が大きくなる。石油に基づく全ての製品は生産コストが下がり、利幅が大きくなる。これだけでも世の中の景気を押し上げるには十分な材料となる。
日本では、そこに低金利が加わった。プラザ合意が引き起こした円高不況を克服するため、公定歩合の調整を行った結果、金利は5%から2.5%にまでおちていた。
人々は低くなった金利を利用して銀行ローンを組み、土地や家を買い始めた。建設業界もマンション販売業界も活気に溢れ、膨らんだ利益は経費となり世の中に流れ出ていく。
人々の給与が増えたことで消費があがり、世の中を巡るマネーサプライを増やしていく。それらは株やゴルフ会員権にまで流れ込み、景気の上昇を加速させた。原油価格の急落と低金利が重なったことで生じた日本の景気は異常なまでの勢いで上がっていった。
ウエスティン・ホテルズ売られる
「竹下総理。近々、ウエスティン・ホテルズ全てを買う予定です。プラザ合意が行われたプラザホテルもその中に含まれています」
「それはすごいことじゃないですか。いったいいくらするんですか?」
「1700億円くらいとみています」
「大きな買い物になりますな」
「これは、我が社が大手と肩を並べられるようになるための大勝負です!」
「青木さんは昔から夢を追いかける人じゃった。だから大蔵省にとどまっていることはできなかったというわけだ」
「とんでもありません。経営者になったがために、夢が膨れあがってしまっただけのことです」
青木建設の社長、青木宏悦は苦笑した。
「これはプラザ合意が与えてくれたチャンスです。残念ながら、プラザホテルは切り売りするつもりです。1700億円は大きすぎるので」
竹下は小さく2回うなずいた。
佐藤栄作内閣時代に、官房副長官だった竹下登と、官房長官秘書官を努めた青木宏悦は親交を深めてきた。青木は1973年に父の後継者として青木建設に入ると、空飛ぶ社長室と言われるほど、プライベートジェットを利用して世界中を巡り、不動産購入のビジネスに傾倒していった。
青木建設がウエスティン・ホテルズの買収を行ったのは1988年が明けたばかりのことだった。1988年3月27日付けのニューヨークタイムズにこう書かれている。「3ヶ月前にウエステイン・ホテルズを1.5ビリオンドル(当時の為替で約1720億円)で購入した青木建設が、プラザホテルをドナルド・トランプ氏に売却」。
1988年1月の為替レートは123円から130円の間で推移。このとき青木建設はプラザホテルだけでなく、ロックフェラーが建設したハワイ島の最高級ホテル、マウナケアビーチ・ホテルも切り売りする。約400億円で購入した西武鉄道は、プリンス・ホテルズでその運営を始めた。
12年越しの夢をかなえたトランプ
12年越しの念願を適えたドナルド・トランプは有頂天になっていた。
「それにしても、415ミリオンダラーだなんて、高すぎませんか?」インタビューアーが問う。
「高いなんてもんじゃない。12年前に、50ミリオンダラーで買おうとしたんだから。その8倍以上だ。でもいいんだ。俺はマンハッタンのモナリザを買ったんだから。これからさらに磨きをかけて、きれいにする予定だ」
このインタビューで、ドナルド・トランプの人気は急上昇。そこに『ホームアローン2』の撮影話しが入ってきた。トランプは映画製作会社に2つの条件をだした。ひとつは撮影料を払うこと。もうひとつは自分も映画に出演させること。
主人公のケビンがプラザホテルに入ったところで、トランプに尋ねるシーンがある。「ロビーはどこ?」トランプは指差して言う。「ここをまっすぐに行って、左だよ」
これを経て、トランプは一不動産業者から、アメリカ中の人々に知られる有名人になっていく。また、この頃から、彼は周囲にもらすようになる。将来、大統領になりたい。