大阪・広島「お好み焼き」戦争に終止符か?その歴史をたどる
お好み焼きの語源は「あとはお好きに焼いてください」から
千利休の麩の焼にしろ、どら焼きにせよ、文字焼にせよ、どんどん焼きにせよ、関西で生まれた洋食焼き(一銭洋食)にせよ、水で溶いた小麦粉をクレープのように鉄板に広げ、その後に具材を重ねていく調理法は、全てに共通しています。
しかし、お好み焼きといえば、具材と小麦粉を溶いた液体を最初から混ぜて、まとめて焼いてしまうスタイルを思い浮かべませんか?この辺りに実は、お好み焼き誕生の秘密があります。
熊谷真菜著『「粉もん」庶民の食文化』(朝日新聞社)によれば、洋食焼きが子どもを中心とした軽食のような食べ物から、お酒と一緒に楽しむ大人の食事に戦後の食糧難で格上げされると、今度は料理が出てくるまでの待ち時間をつぶす意味も兼ねて、自分たちで焼きたいと希望する人が大阪で出てきたといいます。
とくに男女の間では大人の「おままごと」になったため、流行したみたいですね。
お客に自分たちで焼かせるとなると、お店の側もお客の手を汚さないように、具材と小麦粉の液体を最初から混ぜて提供するようになります。
その混ぜた材料を出したら、「あとは好き合ったふたりでお好きに焼いてください」というスタンスで、放っておいたといいます。
この「あとはお好みで焼いてください」という言葉から、「お客自身が自分たちで好きに焼く洋食焼き」=「お好み焼き」が生まれたのではないかといわれているのですね。
この仮説が正しいとすれば、お好み焼きとは、大阪で生まれた洋食焼きの発展形で、お客に自分で焼いてもらうために、生地と具材を最初から混ぜてしまった料理を意味します。
いい換えれば、
- 自分焼き(お店の人でなく、自分で焼く)
- 混ぜ焼き(具材と生地を事前に混ぜてしまう)
というふたつの条件を満たした洋食焼きを、お好み焼きと呼ぶと考えられます。
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