大阪・広島「お好み焼き」戦争に終止符か?その歴史をたどる
大阪でお好み焼きの定義が崩れていった?
お好み焼きというネーミング、さらには具材と生地を混ぜ込んでしまう食べ方が、大阪で生まれたといいました。
ただ、事情はさらにややこしくて、「あとは好き合ったふたりでお好きにどうぞ」という大阪のお好み焼きも、戦後間もなくまさに大阪で、スタイルに変化が見られてきます。
「自分で焼くのに、この値段は高い。この値段なら、焼いてもらいたい」というお客側からの意見が出てきて、お店の人が焼く「店焼き」が再び増えていったという歴史があるのですね。
逆にいまではプロの提供する料理として、鉄板パフォーマンスを売りにした高級路線のお好み焼き店もあるくらいです。
この壮大な歴史を整理すると、文字焼が関東でどんどん焼きを生み、そのどんどん焼きが西に伝わり、京都や大阪でウスターソースと出合い、洋食焼き(一銭洋食とも)が生まれます。
第2次世界大戦後の食糧難で洋食焼き(一銭洋食)が見直されると、大人でも食事として満足できるクオリティに改良され、男女の「おままごと」としてお好み焼きが大阪で生まれます。
しかし、その大阪で生まれた自分焼きも、まもなくお客の要望で、お客に焼かせない(自分焼きさせない)スタイルへの揺り戻しが起こります。
とはいえ大阪では、お客自身に焼かせる自分焼きのお店も残りました。具材と生地を最初から混ぜてしまうスタイルは、完全に残ります。冒頭で『広辞苑』の解説が、
<水で溶いた小麦粉に魚介類・肉・野菜など好みの材料を混ぜて、熱した鉄板の上で思いのままに焼きながら食べる料理>(『広辞苑』より引用)
となっていた理由は、このあたりの背景を踏まえているのですね。そうなると広島のお好み焼き(お店焼き×重ね焼き)は、やはり広島「風」という扱いになるはずです。
広島風お好み焼きの元祖のひとつといわれるみっちゃん総本店が、1950(昭和25)年当時に出した屋台ののれんの写真を見ると、「お好み焼き」という言葉が使われていると分かります。
しかし、創業時からお店の側が焼く店焼きが貫かれていますし、後にめんを加えるという独自のアレンジも行われました。
「お店が焼く、具材と生地を混ぜ込まないお好み焼き」と「めんが入るお好み焼き」というダブルの意味で、最初から広島のお好み焼きは広島「風」だったのかもしれません。
ちなみに先述したTRiP EDiTORの過去記事「なぜ東京・月島は「もんじゃ」のまちになったのか?その歴史と由来」によれば、後にこの大阪で生まれたお好み焼きが東京でも流行します。
さらに、お好み焼きを出す東京のお店で、お好み焼きの具材を使った文字焼が、昔を懐かしむ感じでサイドメニューとして出されました。この瞬間から、もんじゃ焼きの歴史が始まります。
振り返ってみれば、東から西、西から東と、食文化の流れが行き来しているのですね。
今回は、お好み焼きの歴史についてご紹介しました。店舗としてお好み焼き屋さんがはじめてできたのは東京で、そこから広まっていったという話もあります。
それらをふまえた上でも、大阪のお好み焼きでも広島のお好み焼きでも、そして東京のお好み焼きでも、どれも美味しいグルメであることに違いはありません。お好み焼きはどの地域でも多くの人々に愛されるソウルフードです。
家族はもちろん友だちや恋人、そしてひとりでもさまざまなシチュエーションに合わせて楽しめるお好み焼き。
昨今では外出自粛等の影響で外食できない日々が続いていましたが、時間があるときは自宅で簡単につくれるお好み焼きにチャレンジしてみてもいいかもしれませんね。そして自分なりのアレンジを楽しんで、本来のお好み焼きを味わってみませんか。
- 参考
- 人口10万人当たりの「お好み焼店」登録件数による偏差値の都道府県ランキング(2013年)NTTタウンページ
- 新谷尚紀、関沢まゆみ編『民俗小辞典 食』(吉川弘文館)
- 熊谷真菜著『「粉もん」庶民の食文化』(朝日新聞社)
- お好みソースの歴史-otafuku
- image by:Shutterstock.com,Shutterstock.com,編集部
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