「売らない・貸さない・壊さない」住民が団結した江戸の原風景を残す宿場町
よく「日本はどこに行っても街の風景が同じでつまらない」なんて声を聞きますが、我が国にだって外国人に自慢したくなるような日本らしい素敵な街並みがちゃんと残ります。
昔ながらの街並みといえば、京都府はもちろん山口県・萩や岐阜県・高山などの城下町、沖縄県・竹富島の集落、世界遺産の指定も受ける白川郷などが有名ですが、意外と穴場で知られていないのが信州は長野県の木曽路地域。
江戸時代、日本橋と京都の三条大橋を結ぶ五街道のひとつとして大いに栄えたこの街道沿いには、今でも宿場町だったかつての面影が色濃く残る場所が点在します。そんな古き日本の風景の中でも、ひときわ情緒あふれるのが南木曽町(なぎそまち)にある妻籠宿(つまごじゅく)です。
古き良き日本の宿場町が今なお残る場所
中山道六十九次のうち江戸から数えて四十二番目となるこの宿は、伊那街道が交差する交通の要衝として古くから栄えた場所で、南北に連なる約6kmの細長い山峡に全長500mの宿場町が開けます。
さらさらと水を弾く水車小屋、古く年季の入った出梁(だしばり)造りや竪繁格子(たてしげごうし)の家々、手描きの看板や軒先に飾られた小さな野の花など、そこで目にする風景はどれも古き良き時代の日本の原風景と呼べるものばかり。
江戸時代には31軒の旅籠が軒を並べ、峠を越える旅人たちで大いに賑わったそう。小説家、島崎藤村の母の生家があることでも知られ(妻籠宿の本陣を勤めるのが島崎家で、最後の当主は藤村の実兄)、妻籠宿の美しい景観を藤村文学の舞台として崇める人も少なくありません。
木曽路には11の宿場町があり、お隣の馬籠宿など他にも当時の景観を留める宿も少なくないのですが、妻籠宿が他の宿と一線を画すのが、絶対的なその自然景観の美しさにあります。
宿場町の背景には緑豊かな木曽の山々がそびえ、ここが山深い里であることを教えてくれます。宿の風景はいつも四季折々の自然と共にあり、その山間にひっそり溶け込むように佇む姿が、なんとも日本人として気持ちにしっくりと響くのです。