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崩壊から30年。ドイツの東と西を分断した「ベルリンの壁」の今

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2019/11/12

悲劇が生まれた「ベルナウアー通り」

image by:Werner Spremberg / Shutterstock.com

ベルナウアー通り」は、ちょうど東西の境界線に位置していたため、「窓外は西ベルリンなのに、住まいは東ベルリン」といった複雑な立地状態にあった家も多かったとか。

そのため、状況が緊迫していることを察知した住人は、早くから窓から飛び降り脱出したという話も残っています。

建物の壁に描かれた脱出の様子

壁の建築が始まっておよそ1週間後に、東ドイツ政府は突然ベルナウアー通りの住民に対して強制退去命令を出し、すべての窓はレンガで塞がれ、廃屋となり、やがて爆破され、更地にされてしまったそうです。

その後、東西2枚の壁が造られ、その間の無人地帯には、逃亡を阻止するための監視塔が多数置かれました。

ベルナウアー通りに残されている壁の高さのポール

一列に並んだ鉄のポールは、かつてのベルリンの壁の高さになっています。

決して高くはありませんが、もう1枚の壁と間にある監視塔によって、国境線が堅固に守られていたということを実感できます。ベルリンの壁の恐怖感を一番感じられるところかもしれません。

平和への願いを伝える「ベルリンの壁記念センター」

ベルリンの壁記念センターの屋上からの風景

かつての監視塔のように建っている博物館「ベルリンの壁記念センター」には、無残な写真や展示品が多く所蔵されており、見て回るだけで涙がでてくるところでした。

展望台から外を眺めると、ベルナウアー通り、西側の壁(ポール)、無人地帯、その先に東側の街が広がっていたことになります。どこへでも自由に行き来できる平和のありがたさを感じずにはいられません。

市内唯一の国境検問所「チェックポイント・チャーリー」

チェックポイント・チャーリー

ベルリンの壁と並ぶ東西分断の象徴とされているのが、第二次世界大戦後、1990年までソ連統治地区の東ベルリンとアメリカ統治地区の西ベルリンの境界線上にあった、アメリカ側の国境検問所「チェックポイント・チャーリー」。


壁や監視塔だけでなく強固な検問所があった東ベルリンに対し、西ベルリン側は木造の小屋というのは驚きです。

市内でただひとつの境界検問所であったために、チェックポイント・チャーリーを挟んで米ソの戦車が睨み合うという事態が起こり、「米ソの最初で最後の直接武力対決の舞台」といわれたそうです。

いまではすっかり写真スポットになっていますが、歴史は本当に重いものですね。

image by:KELENY / Shutterstock.com

ベルリンの壁崩壊から30年。すっかり歴史の教科書に載っている史実のようになっている気もしますが、現在でも苦しんでいる方もいるのが現状です。

戦争を経験していない私たちは、こうした歴史的遺物に触れることで、2度と残酷な出来事を繰り返してはいけないということを再確認しながら生きていかなければならないと感じます。

旅行の目的はさまざまですが、広島の「原爆ドーム」、ポーランドの「アウシュビッツ・ビルケナウ」とともに、ベルリンの壁を実際に訪れるのも、平和な未来へとつながるよい経験になるのではないでしょうか。

  • image by:ilolab/Shutterstock.com
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現在は都内の旅行会社で働きつつ、週末をからめた弾丸トラベラーとして世界各国を旅するアラサー女子。

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