6千人のユダヤ人が上陸した過去も。鉄道と港の町「敦賀」の意外な歴史
「北陸一の駅舎」を継承する敦賀駅
1869年には日本初の鉄道4路線の1つに京都・敦賀間が決定。
そして前述したように、欧亜国際連絡列車が運行されるなど、敦賀は鉄道によっても発展した。とくに1909年から敦賀大空襲にあう1945年まで建っていた2代目の駅舎は「北陸一の大駅舎」といわれ、写真を見ると威風堂々とした佇まいだったことがわかる。
2014年にお目見えしたJR敦賀駅交流施設「オルパーク」は、北陸一の駅舎と呼ばれた頃のイメージを継承するデザイン。建築家の千葉学氏が設計を手がけた。当時の駅舎の特徴だった「中央玄関に擁する2つのウイング」を、木造りの「2つの箱」で表し、さらにその「2つの箱」をガラスで包むことで「縁側空間」を生み出し、敦賀の温故知新を感じさせるモダンな造りだ。
また、オルパークや駅前広場のサイン(案内掲示板)のデザインは東京オリンピックやパラリンピックの公式エンブレムを手がけたデザイナー野老朝雄(ところあさお)氏によるもの。
現在、東京・金沢間が開通している北陸新幹線だが、敦賀駅まで延伸されることが決定している。
そして敦賀市は人道の敦賀ムゼウムや敦賀赤レンガ倉庫のある「金ヶ崎周辺」、北陸道の総鎮守である氣比神宮への参道でもある「本町商店街」などの整備に取り組む。敦賀駅は新たな観光客を迎え入れる玄関口となり、人々は記憶が蓄積された場所を訪れ、在りし日の敦賀を偲ぶのだろう。
敦賀駅交流施設「オルパーク」
福井県敦賀市鉄輪町1-1-19
0770-20-0689
http://orupark.jp
- 取材協力:敦賀市
- image by:御田けいこ.敦賀市
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。
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