ヒントはインド。清水寺が崖ギリギリに建てられた意外なワケ
清水寺の創建は778年の奈良時代まで遡ります。まだ京都に都が移っていなかった頃のことです。延鎮(えんちん)という僧が小さなお堂を建てだことが清水寺の始まりです。その小さなお堂を後に大改修をしたのが、坂上田村麻呂です。初代征夷大将軍に任命された人物ですね。
実は清水寺の敷地は彼の家の敷地だったとも伝わっています。田村麻呂がある日、現在の清水寺の近くで鹿狩りをしている時に延鎮と出会います。延鎮は彼が鹿を殺める事を察し、説法をしました。田村麻呂は延鎮の説法を聞きこの地にあった自宅を寄進してお寺の本堂したといいます。そして彼は本堂を大改修して現在のような形になっていったそうです。
では清水寺の舞台はなぜ、何の為に造られたのでしょうか? それは清水寺があの場所に建っていたということに由来します。
清水寺の本尊は千手観音です。千手観音がもともといらっしゃる場所は補陀落(ふだらく)という場所です。補陀落はインドの南にある島で、そこには八角形の険しい山がそびえ立っていると言われています。
日本では、修験道のような険しい山岳で修行することで悟るという「山岳信仰」というものがありました。なので、険しい崖や山々などがインドの南にあるという補陀落と同一視されるようになったのです。千手観音を本尊とするお堂を建てるためには、補陀落の地形に見立てたかのような場所が必要だったわけです。
崖のギリギリな地形の場所にお堂や本堂を建てるインドの補陀落にならって、清水寺も当時崖ギリギリに建立されたのです。清水寺はやがて本堂ではおさまりきらないほど参拝客が来る有名なお寺になりました。そこで改装をする必要が出てきました。
元々本堂が崖のギリギリに建っているため、増築する場所がありません。そこで、崖にせり出した舞台のように本堂を増築するという方法がとられたのです。これを「懸造り(かけづくり)」といいます。清水の舞台を支える独特な建築様式です。
懸造りは清水寺だけでなく、山岳信仰を持つお寺などに見ることが出来ます。狸谷不動尊や、峰定寺などでも、懸造りを見ることが出来ます。崖ギリギリに建ったお寺が増築などをする際にはこの懸造りが用いられるのです。清水の舞台は、無理矢理増築した結果だったのです。