廃墟マニアも絶賛。長崎の西に浮かぶ第二の軍艦島「池島」の風景

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2018/07/14

平成15年(2003年)3月24日~25日、閉山1年後の池島

二度目の池島へは、大瀬戸発のフェリーで出かけた。島の人口は600名ほどに減少しており、桟橋ベンチの屋根の「長期存続を」の文字はなくなっていた。

港地区から郷地区に向かう途中、見えた線路は切られており、その先は荒野になっていた。

鉱業所の様子をうかがってみると、人の気配はなかったが、廃墟という感じでもなかった。炭鉱技術研修の流れで、部分的には稼働していたのであろう。

池島鉱第二事務所前では、女神像、炭鉱夫と子供の像に並んで、インドネシア、日本、ベトナムの国旗が並んではためいていた。

炭鉱夫と子供の像、台座のスローガン「災害ゼロはみんなのねがい」に変わりはなかったが、社名は「松島炭鉱池島鉱」から「長崎炭鉱技術研修センター」に変わっていた。

鉱業所地区、学校のグラウンドから池島ストア、食料品小売センターを見ると、一面にスイセンが咲いていた。池島ストアの営業エリアは4分の1ほどになっていた。

この時は八階建てアパート一階の西共同浴場に入ったが、番台の方は「3月いっぱいで営業はおしまいになる」と話されていた。

郷地区の人の気配が薄い商店街を歩くと、建物の壁に「池島炭鉱の長期存続を」というスローガンが見つかった。

そして再び、炭坑夫の方と乾杯した赤ちょうちんにやってきた。夜来ると赤ちょうちんと看板に明かりが灯って、何ともいえない風情があった。この時はこの道のいちばん奥にある「福屋旅館」に泊まった。


赤ちょうちんのおかみさんは、2年以上ぶりの客を覚えていてくれて、再会を祝してビールで乾杯した。山芋ステーキも、変わらぬ味で迎えてくれた。

おかみさんと常連さんの誘いを受けて、前回は行けなかったスナックでカラオケを唄うことができた。この頃、郷地区のスナックは4軒あって、入ったお店もお客さんで賑わっていた。

翌朝、郷地区の坂道を登りきり、角力灘を見下ろすと、地面には黄色い春の花が一面に咲いていた。

平成17年(2005年)3月13日~14日、閉山3年後の池島

三度目の池島は佐世保からの高速艇で、妻と一緒に出かけた。前回に続いて「福屋旅館」に泊まったが、やっていてほしかった赤ちょうちんは閉店となっていた。

この時は春の嵐で、海がしけて雪まで降った。福屋旅館の窓から角力灘を見ると、対岸に松島が見えた。

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