廃墟マニアも絶賛。長崎の西に浮かぶ第二の軍艦島「池島」の風景
平成12年(2000年)11月25日~26日、閉山1年前の池島
初めての池島では、炭坑夫の方とお酒をご一緒して乾杯することが大きな目標だった。神浦発の旅客船に乗って、池島港へ到着する。
当時、島の人口は約2800名。桟橋のベンチの屋根には「池島炭鉱の長期存続を」の文字があった。背後には港地区の炭住3棟(A8・A9・A10棟)が見える。
桟橋の対面、選炭場の下方、貯炭場には、石炭が山積みにされていた。外海にある池島は風が強く、丘の上には発電用の風車が建っている。
港地区から鉱業所地区へと続く坂道の途中には、池島鉱本部所入口と第一立坑のやぐらが見える。
鉱業所地区、神社下バス停(バスの終点)そば、池島炭住の代表格の八階建てアパートは、4棟(25・27・29・31棟)から成っている。
訪問時は休業中だったが、八階建てアパートの一階には西共同浴場があった。当時、島には3か所の共同浴場があり、この時筆者は港地区の港共同浴場に入った。
車道の終点には池島鉱第二事務所と第二立坑のヤグラがあり、女神像「慈海」が建っている。ここでも「長期存続を」のスローガンが見られる。
第二事務所横には炭坑夫と子供の像が建っていて、台座側面には「ご安全」と記されていた。
鉱業所地区から郷地区へ入り、狭い坂道を下ると、スナックやパチンコ店が立ち並んでいた。この時は坂道の中ほどにあった美松旅館に泊まった。
坂を下りきった郷地区の商店街に、赤ちょうちんを見つけた。お店に入ってカウンターで呑んでいるうち、炭坑夫の方との乾杯が実現した。女将さんオススメの山芋ステーキはとても美味だった。
ほろ酔いで戻った美松旅館の部屋には、ヌードのパズルが飾られていた。これを見て筆者は「炭鉱は男の世界なんだなあ」と思った。
夜の郷地区の坂道には、スナックからの歌声が夜遅くまで響き渡っていた。未明5時には、三交代のサイレンが響き渡った。
翌朝、郷地区から港地区へと向かう途中、軌道上に並ぶトロッコが見えた。先には角力灘が広がっている。ここも貯炭場で、石炭が運ばれていたのであろう。