関東人は知らない?懐かしき「アーケード商店街」に隠された謎と歴史
日覆いが進化してアーケードに発展した
日覆いは関西を中心に広まって、後に現在の全蓋式アーケードに発展していったと紹介しました。しかし、あくまでも日覆いは布で空を覆っただけの状態。この布から、現在のガラスや強化ポリエステル、アルミニウムなどの板が上空を覆うアーケードには、どのタイミングで切り替わったのでしょうか?
そのきっかけに、第二次世界大戦があります。そもそも日覆いは、向かい合う建物の軒と軒に架け渡された単純な布の覆いだと紹介しました。そこから独立した支柱を立て、数メートルごとに梁(はり)を渡した頑丈なタイプに進化していきます。
しかし、この柱は金属でできていたため、第二次世界大戦中に政府の手で半強制的に回収されてしまいます(金属回収令)。その結果、商店街からは日覆いがなくなり、
<光の直射に浴する健康な決戦商店街である>(同論文の中に引用された朝日新聞の記述より)
と、当時らしい言い回しで表現されるような状態になったのだとか。光の直射に浴する健康な決戦商店街という「巧みな表現」には、感心させられるくらいですよね。
ただ、日覆いはもともと衣類や食品などが直射日光を浴びて傷まないように設置されたともいわれています。直射に浴すると困るため、戦後になると関西を中心に日覆いが復活し、ほどなくジュラルミンやアルミ製の屋根で覆った「近代」アーケードが誕生して、最終的には組織化した商店街の近代化の切り札事業として、アーケードの設置が全国で進められていきます。
その流れは近年まで変わらず、商店街全体が力を合わせて、
<アーケード、カラー舗装、駐車場、街路灯>(坂本光司研究室&商店街問題等研究会編著『ケーススタディ この商店街に学べ!』同友館より引用)
といったハード面を、ソフト面のサービスの拡充とともに行ってきたのですね。結果として今では、「商店街=アーケード」といったイメージが、国民に根強く広がっているのです。