関東人は知らない?懐かしき「アーケード商店街」に隠された謎と歴史
関西に全蓋式のアーケード商店街が多い理由とは
全蓋式アーケードの由来を知る重要な手がかりとしては、辻原万規彦、藤岡里圭著『アーケードの原型としての日覆いに関する研究』(日本建築学会計画系論文集)があります。
同論文によると、商店街の上空を覆うアーケードは「日覆い」と呼ばれ、もともとは向かい合うお店の軒と軒に巨大な布を架け渡した状態だったのだとか。現代風にいえば、キャンプで使うタープを向かい合う店同士で張り渡すイメージですね。
この日覆いに関しても、歴史は江戸時代にまでさかのぼるそうで、少なくとも1661~1673年(寛政年間)には日覆いが存在していたといいます。
この日覆いが1935年(昭和10)年前後になると、京阪神を中心に各地に広まって、現在のベースができあがります。実際に今でも大阪の「天神橋筋商店街」や「心斎橋筋商店街」、兵庫の「三宮センター街」や「神戸元町商店街」、京都の「四条繁栄会商店街」などや京阪神には全蓋式のアーケードが多い印象はありますよね。
関西を訪れた明治時代の文豪・坪内逍遥も、「道が広い東京では見ない光景」と語ったみたいです。もちろん東京でも「中野サンモール商店街」や「阿佐ヶ谷パールセンター」、「浅草新仲見世商店街」や「吉祥寺サンロード商店街」などは全蓋式アーケードです。
しかし、都内には「下北沢南口商店街」「戸越銀座商店街」「高円寺純情商店街」「巣鴨地蔵通り商店街」「上野アメ横商店街・アメヤ横丁」「浅草仲見世商店街」「麻布十番商店街」「谷中銀座商店街」など、アーケードがない有名商店街もたくさんあります。
むしろ、東京都内では屋根なしの方が主流派な印象です。その意味でも、全蓋式のアーケードは関西が本場みたいですね。
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