あふれんばかりの魅力に恋して。京都「北野天満宮」の歴史に迫る

星欠けの三光門

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本殿前の中門は、太陽・月・星の彫刻が施されているとされているので三光門と呼ばれています。しかしよく見ると星はありません。その昔、御所からこの門を眺めたときに門の真上に北極星が輝いていたので、あえて星の彫刻は施さなかったと伝えられています。

豊臣秀吉が築いた「御土居」

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いまでは信じらませんが、一時期京都の町は土塁で周囲を囲まれていました。これを「御土居(おどい)」といいます。豊臣秀吉が京都の街を囲むために、総延長約23kmもある塀のようなものを築いたのです。

秀吉が御土居を築いた目的は諸説あるようですが、いまだにはっきりしたことはわかっていません。ただ現在でも京都には、所々御土居の遺構が残っていて、北野天満宮の敷地内のもみじ苑もそのひとつだったと伝えられます。

立っている牛はいない?不思議な「天神様と牛」

北野天満宮には牛の像がたくさんあります。天満宮の神使(神の使い)が牛だからです。牛が神使となった理由はいくつかあります。

  • 道真の生まれた年が丑年だった。
  • 道真が亡くなったのが丑の月の丑の日だった。
  • 道真の墓(太宰府天満宮)の場所を牛が決めた。

など、いろいろと興味深い話があります。

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北野天満宮に伝わる北野天神縁起絵巻には、亡くなった道真公を運ぶ葬送の列が描かれています。牛車で運んでいる最中、牛が座り込んで全く動かなくなったので仕方なくその場に埋葬することになったと伝えられています。

このとき、牛が座り込んで臥してしまった姿を「臥牛(がぎゅう)」といいますが、この姿が境内にいる牛の姿なのです。臥牛が境内を護っているのはそのためです。ちなみに日本全国にある約1万2000社の天満宮には、立っている牛は1頭もいないといいます。


学問の神様のお守り

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菅原道真は学問の神様としても知られています。道真は幼い頃から勉強熱心で、最年少で国家試験に合格し、右大臣にまで上り詰めました。

そのため道真を祀っている北野天満宮は学問の神様として有名で、受験生向けのお守りや御祈祷を受け付けています。もちろん北野天満宮が創建された由来でもある「雷除け」の御守りもあります。


今回はここまでです。いかがでしたか?今回は引き続き、紅葉の名所をご紹介したいという思いがありました。紅葉まではまだ少し時間があるのでぜひ、今年計画してみてはいかがでしようか?続きは次回をご期待ください。

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