生々しい感情が蘇る。実物展示へリニューアルした「広島平和記念資料館」へ
実物展示から受ける、さまざまな感情や学び
まずは東館から。館内に足を踏み入れると、原爆投下のようすを映像で再現した展示に目を奪われました。建物が立ち並び、大勢の人々が暮らしていた広島市へ突然の原爆投下。
その直後、周囲一帯は何もかもなくなり、山陰の一部のみが残されます。原爆投下前後の街のようすなど写真展示もあり、その変貌を目の当たりにすると、恐怖と悲しみが一気に胸の中で湧き上がってくるようでした。
原爆の投下された8月6日の写真は、2枚しか残されていません。ただ座って蹲る人、あるいは皮膚が垂れ下がり痛みに悶える人。その隅々にまで目を向けて見ると、悲痛な声が聞こえてくるかのようです。
被爆した子どもたちの服が、たくさん展示されていました。しかし被爆したのは、中学1・2年生ばかりなのだとか。その理由について、滝川館長が次のように教えてくれました。
「当時、子どもたちは屋外・室内それぞれの作業に学年別で割り振られていました。そして屋外作業に当たっていたのが、中学1・2年生だったんです。8,000人に及ぶ子どもたちが作業していて、原爆投下により約6,000人もの命が奪われました」
これからの未来を担うべき、幼い命。それが、一瞬にして奪われたのです。私も年の近い子どもを持つ親として、非常に胸が痛みました。そして、二度と同じ過ちを犯してはいけません。それは、私たち大人の守るべき責任ではないでしょうか。
屋外作業に当たっていた子どもが、恐らく親から持たされていたであろうお弁当。口にすることなく子どもは亡くなり、お弁当の中身は真っ黒になりました。リニューアルオープンした広島平和記念資料館の本館では、こうした遺物が実名と共に数多く展示されています。
こちらは爆心地から1,500mほどの場所で被爆した、当時3歳11カ月の子どもが乗っていた三輪車です。被爆後、ご本人は同日の夜に亡くなったそう。
写真と共に展示されているので、展示を見ながら当時のようすをリアルに想像してしまいます。被爆した方々の恐怖や悲しみ、苦しみといった感情が、ダイレクトに入ってくるかのようでした。
私の息子も滝川館長から説明を受けつつ、じっくり展示や説明を読んでいました。正直にいって、この生々しい現実を知るには「まだ早いのでは?」とも考えていたのですが、小学6年生ながらに学ぶこと、気付かされたことは多かったようです。
特に原爆投下の当日・直後においては、写真なども稀少です。しかし広島平和記念資料館では、当時のようすをイメージとして見せてくれます。その場で体験した方々が、当時のことを思い出しながら描いた絵が何点も展示されているのです。
きっと、思い出すだけで辛いことでしょう。我が子が瓦礫の下敷きになって叫んでいたり、母親が被爆により焼ただれた皮膚を垂れ下げながら歩いていたり。
しかしその体験を忘れず、そして次世代へと繋いでいくために、この絵を描いてくれたのではないでしょうか。だからこそ、私たちはしっかり目に焼き付けなければいけないのだと思います。