飯尾醸造の米作りから始める究極のお酢をご存知ですか?@京都府宮津市
10数年前、初めて飯尾醸造の「純米富士酢」を口にしたときのあの衝撃は忘れられません。酢ってこんなにコクがあって美味しいんだ!とびっくりしました。
スーパーなどで売っている一般的なお酢にくらべるとお値段はちょっと張りますが、最後にちょっとかけるだけで酢のものの味がピシッと決まり、立派な料理に昇華。調味料ってこんなに奥深く面白いんだと、以来、調味料に対する概念が変わったほどです。
その後、「飯尾醸造が自分のとこで米作りを始めたんだって。しかも全国からボランティアを募って米作りをするみたいだよ」という話を耳にしました。
お酢屋さんが米作り? どういうこと?そんなに米にこだわったお酢なんだ。と、さらに飯尾醸造が気になること数年。この度、意を決して蔵を訪ねてきました。
うまい酢を生み出す無農薬での米作り
この「富士酢」シリーズを作っている飯尾醸造があるのは、京都府北部の“海の京都”エリアにある宮津市。JR宮津駅から車で舞鶴方面に10分ほど走った栗田(くんだ)湾がある静かな漁師町にあります。
創業は明治26年。「富士酢」の名は初代が「富士山のように日本一の酢を作りたい」という思いからつけたのだそうです。
飯尾醸造の「富士酢」は、いまも昔ながらの蔵で杜氏や蔵人が泊まり込みで仕込んでいます。酢の主原料は水と米。山から湧き出る伏流水(かつて近所に酒蔵があり、その蔵でも使用されていたのだとか)を使用し、米は自社の棚田と近所の契約農家で作ってもらっている無農薬栽培米を使用しています。そう、「富士酢」は米作りの歴史ともいうことができるのです。
無農薬栽培の米を使うようになったのは、「無農薬農法」「有機農法」「オーガニック」という言葉が流行るよりもずっと前。昭和39年、当代の飯尾彰浩さんの祖父・3代目当主のとき。
当時の農薬は非常にキツく「田んぼは危ないから子どもが入らないように柵がしてあったそうで、そんなところで作った米を使いたくないと思ったのがきっかけだったそうです」。
しかし当時、米作りに農薬を使うのは当たり前で、むしろ1軒でも農薬を使わない家があったら周囲の農家に非難されるような時代です。そこで3代目は1軒、1軒農家を回って無農薬で作ることを頼み込み、それ以来、作っていただいているお米は3倍弱の値段で買いとるように。
「そうすることで農家の人たちも作り甲斐がありますし、減反政策(※)で米の売り上げが落ちたときもありますが、“飯尾さんのおかげで農家を続けられた”といっていただけました」。
※減反(げんたん)政策…戦後の日本で行われたお米の生産調整を行うための農業政策
続いて4代目になると、今度は農家の方々の負担を減らすために新しい農法を探ります。いろいろ試した末、ぴったりハマったのが黒く色づけした紙を敷きながら田植えをする「再生紙黒マルチ農法」でした。
この農法だと自然に紙が溶けて土に返るまでの間、田んぼに雑草が生えてこないのですが、シートを敷きながら田植えをするために特殊な田植え機や資材が必要。その費用はすべて飯尾醸造が負担しているのだそうです。一緒にやりたい!やってほしいという気持ちが伝わるから、農家の方々も安心して無農薬でお米が栽培できるんでしょうね。
そして当代になると、高齢化のため稲づくりをやめる契約農家から棚田を借り、自分たちで米作りを始めることに。それが平成19年のこと。「うちから1時間ぐらい離れたところにある棚田なのですが、とてもきれいな景色です。でも小さな田んぼの連続なので機械を入れることができず、すべて手作業なんですよ」。
最初は蔵人だけで行ったため大変な作業でしたが、5代目は「大学卒業後、しばらく東京の会社で働いて帰ってきた私にとっては、これはとても楽しかったんです」。ということは、これはきっと都会にいる人たちも楽しいはず! と全国からボランティアを募り、田植えや稲刈りなど田んぼ体験をしてもらおうとひらめきます。
最初は1年に20人集まるぐらいだったのが、いまでは口コミで評判が広がり、1日30人ものボランティアが集まるように。「なかにはここで結婚した人もいるんですよ。無農薬で作ることはお金もかかりますし採算的には圧迫しますが、このきれいな棚田の景色も残したいと思っているんです」。たしかに昔話の世界のよう。
そうして作った米を秋に収穫、乾燥、精米します。ちなみに無農薬で作った稲わらはお寿司屋さんなどにもらわれ、カツオやサワラの藁焼きなどに使われるのだとか。なるほど、こうやっていろいろと循環していくわけですね。