『鬼滅の刃』が大人気だけど、そもそも日本の鬼っていつからいるの?
なぜ、鬼が生まれたのか?
ここまでで「雷様」のような鬼のビジュアルが出来るまでの流れ、「鬼」の読み方の歴史、漢字そのものの由来などを確認してきました。
ただ、まだ鬼に関する根本的な疑問は解決されていません。根本的な疑問とはつまり、人間はどのような過程を経て、鬼を創造したのでしょうか。
いってしまえば、鬼は実在しません。にもかかわらず、数々の絵巻に描かれ、『鬼滅の刃』でもひとつのフィクションながら、かつて大正時代に鬼が存在したという状況設定が、何の無理もなく現代人に受け入れられています。
その背景については、南清彦著、藤原重夫画『鬼の絵草子-その民俗学と経済学』(叢文社)から紐解くことができます。
もともと科学技術の発達が十分でなかった古代の社会で、人間の暮らしは自然の影響に大きく左右されていました。手のつけようのない自然に神を感じ、人々の間で神秘的思想や呪術のような発想が根付いていきます。
非科学的な思想で自然と接し続ければ、大自然の猛威や怪現象を目撃したとき、そこに鬼や精霊の存在を感じざるを得ません。とはいえ実在しない鬼や精霊の存在は誰も見ることができません。
怖れがあるからこそ、多くの人が実態を把握したいという気持ちがあり、ニーズにこたえる形で作家や画家が鬼に形を与え始めたと考えられます。
具体的な形を持った鬼が絵巻などに登場し、次第に形を整え、青鬼や赤鬼、餓鬼など、いまでいう怪獣的妖怪の姿に定着していったのですね。
科学がこれだけ発達したいまでさえ、人間は夜の森の闇を非科学的に恐れるわけです。科学が全く発達していない古代に暮らす人間は、自然界に潜む不可解な何かを強烈に感じ、豊かな想像力で自然のなかに鬼を生んだのですね。
鬼の暮らす村、白馬の「青鬼集落」
まだ人々のなかに鬼が本当に生きていたころ、鬼はどういった場所に暮らしていたのでしょうか?
ヒサクニヒコ著『ヒサクニヒコの不思議図鑑(1)オニの生活図鑑』(国土社)によれば、鬼は主に山に暮らす鬼と、海に暮らす鬼に分かれていたと書かれています。
確かにその通り、日本で鬼の字が地名に残る場所は、海(離島や海岸)や山に多いです。
南清彦著、藤原重夫画『鬼の絵草子-その民俗学と経済学』(叢文社)の付録には、著者が集めた全国の「鬼」の文字が付く地名が一覧で180カ所くらい掲載されています。その多くが、高山、火山、渓谷、修験道、峠道、海岸の岩場や絶壁、離島などの地名です。
東京都にも、都心から400km離れた「鬼ヶ島(現在は青ヶ島)」と呼ばれた火山島がありました。
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筆者がトラベルライターとして思い出に残っている場所でいえば、長野県白馬村にある「青鬼(あおに)集落」です。
白馬村と小谷村の境には岩戸山があり、洞くつがあります。地元の人から聞いた言い伝えでは、この洞くつにかつて鬼が引っ越してきて、暮らしていたのだとか。
以前は近くの戸隠地区にある鬼無里村にいました。その村は、鬼がいなくなったために「鬼無里村(きなさむら)」と呼ばれるようになり、一方の「引っ越し先」では、鬼が居座るため青鬼集落と呼ばれるようになったわけです。この話は印象的ですよね。
白馬や小谷村、戸隠の辺りは、西に白馬岳など巨大な山岳地帯が控えているため、日の入りが早いです。
早々に暗くなり、空気が冷たくなって、どこか不吉で心細い感覚が旅人にも容易に伝わってきます。科学が発達していない時代、頼りなさはもっと切実だったと考えられます。その不安な気持ちが、鬼を生んだのかもしれませんね。
『鬼滅の刃』の冒頭では、主人公が炭を売った帰り道、山のふもとで山道の夜行を止められるシーンがあります。
その状況をリアルに感じたい場合は、新型コロナウイルスの影響が落ち着いたころに、長野県の小谷村のような山深い土地にひとり旅すると体験することができるかもしれませんね。
- 参考
- 南清彦著、藤原重夫画「鬼の絵草子―その民俗学と経済学」(叢文社)
- 五木寛之著『人生の目的』(幻冬舎)
- 『漢字源』(小学館)
- 小松和彦編『怪奇の民俗学4 鬼』(河出書房新社)
- ヒサクニヒコ著『ヒサクニヒコの不思議図鑑(1)オニの生活図鑑』(国土社)
- 沢史生著『鬼の日本史 上・下』(彩流社)
- 鬼のいる里, いない里-青鬼伝説から-
- image by:Kangsadarn.S / Shutterstock.com
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