140年前の日本の人口ランキング、1位が「石川県」だったという意外な歴史の真相
「大石川県」は日本で最も人口が多かった

この「大石川県」も、越前(旧・敦賀県の北部)の地域が独立し、滋賀県に組み込まれていた若狭(旧・敦賀県の南部)と合併して福井県が誕生する1881(明治14)年に終わりを迎えます(後に、越中の地域も富山県として石川県から独立)。

ただ「大石川県」時代には、ある意味で「日本の中心が石川にあった」と言っても過言ではない状況が起きていました。
その状況とは人口です。1880(明治13)年の時点で「大石川県」は、日本で最も人口が多かった自治体として全国に君臨していました。

当時の人口調査は、1871(明治4)年に始まった戸籍法に基づく戸籍地で人口を調査していたため、正確性には極めて欠けると指摘されています。
戸籍上で、人がどこにいるかを把握しているだけで、人の移動を計算に入れていなかった、実数とはかけ離れていた数字だからですね。
その意味で、1920(大正9)年、第1回国勢調査が始まる以前の人口統計は正確性に欠けるという前提は踏まえる必要がありますが、「大石川県」が日本で最も人口が多かった地域だと聞くと、多くの人が意外に思うのではないでしょうか。
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