楽しい体験を通じて宇治を学ぶ「お茶と宇治のまち歴史公園 茶づな」オープン!
外も魅力がいっぱい!「歴史公園」をご紹介
「史跡ゾーン」と「交流ゾーン」
交流館「茶づな」の建物内を一通り拝見した後は、外に広がる歴史公園を案内していただきました。
歴史公園は、宇治茶の魅力と宇治の歴史・文化へ誘う玄関口として、「史跡ゾーン」と「交流ゾーン」があります。
史跡ゾーンでは、史跡宇治川太閤堤跡が築造されてから埋没していく歴史的変遷や護岸の連続性・スケール感を創出し、時間の経過とともに砂洲が形成され、茶園として利用された時代のようす(江戸末期~明治初期)が再現されています。
「交流ゾーン」は芝生が広がっているので、レジャーシートを広げて宇治の美味しいテイクアウトフードをいただくなんて使い方もオススメ!
太閤堤を完全再現!
太閤堤とは今からおよそ400年前、豊臣秀吉が宇治川に作った堤防のことを言います。豊臣秀吉が、文禄3(1594)年に完成した伏見城築城を機に、大規模な治水工事を実施。宇治橋下流から分流していた宇治川の水路を改良し物資の運搬をスムーズに。
それに伴い、この辺りに設置されたのが太閤堤と呼ばれるものです。歴史公園内の「史跡ゾーン」ではその太閤堤が再現されています。
実際はこの2m下に本物の見つかった太閤堤の護岸があるのだとか。コンクリートとシリコンを使ってGRCパネルという特殊な復元の仕方が採用されています。
杭の大きさや打ち方がそれぞれ異なっているのが見てとれます。大きなものは水の衝突を抑えるためのもの、石が流れていかないようにするためのものなど杭を打つ場所によって杭の高さ、大きさなどが変えられているそうで、これらも当時のものを再現しているのだとか。当時の技術の素晴らしさなども含め、しっかりと伝えるために緻密に復元、再現されています(太閤堤見学は9:00〜17:00)。
透明パネルで当時のようすをイメージ
公園の敷地内には宇治の歴史を物語る、シースルーデザインの案内ボードが点在しています。もちろん説明文を読むだけでも意味はあるんですが、実は“とある楽しみ方”が隠されているんです。
その楽しみ方とは、透明部分に描かれているイラスト。実はこれは、太閤堤が実際あった当時の景色だと言います。 今現在の景色と重ねて見ると……当時はここまで川だったのかぁ〜なんてことがわかるという仕組みになっています。
広場に点在しているので、「こうか?この角度か?」なんて言いながら、脚筋力をしっかり使って中腰になったり、背伸びをしたりしながら重なるポイントを探して楽しんでくださいね。「秀吉が見た景色はこんな感じだったのかしら〜?」などと古に想いを馳せ、私も歴女ぶってみました(笑)。
芝生の緑がまばゆい公園スペースにはベンチも点在しているので、京阪電車がホームに入ってくるようすを見ながらほっこりできます。鉄道好きのお子さん連れにもオススメなロケーション。京阪電車のみならずJRが走る姿も見られますよ。
コスチュームを着て茶摘み体験も
水はけの良い宇治川の中州はお茶の栽培に最適と営まれた茶園の景観を再現した修景茶園。宇治では、茶畑に覆いをかける覆下栽培(おおいしたさいばい)と呼ばれる伝統的な方法でお茶を生産したそうです。
「茶づな」では本物の茶園での茶摘み体験も楽しむことができます。しかも、子供用、大人用それぞれ貸し出し用の茶摘み衣装もあるので、コスチュームを着て茶摘み体験ができますよ!
「茶づな」の茶園では、いろんな種類のお茶を時期を変えて景観の一部として植えているのだとか。基本的に収穫は春と秋の年2回。お茶は「1芯2葉(いっしんによう)で摘む」らしく、ツヤがあって柔らかめが摘みころなのだそう。実際、いくつか触ってみましたが、確かに固さが全然違いました。
宇治の茶園では4月ごろから覆いをかけることで、旨味の強い碾茶(抹茶)や玉露ができるのだとか。覆いは本来、丸太と竹で棚を作り、その上によしずを広げ、わらを敷き「本ず」と呼ばれています。
茶園にある小屋は、それらの長尺の資材を入れるため、間口が狭く奥行きの長いことが特徴で「覆小屋(おおいこや)」と呼ばれています。この覆小屋も、白川に現存する小屋を参考に伝統的な技法を用いて再現されています。
夕暮れ時は要チェック!ダイヤモンド富士ならぬダイヤモンド宇治