140年前の日本の人口ランキング、なぜ1位が石川県だったのか?
「東京時代」の始まり
しかし、大正時代から徐々に、東京とその他の地域との人口格差が目立ち始めます。日本人の人口が5723万人だった1920(大正9)年の人口分布は次のとおりでした。
- 東京府:3,699,428人
- 大阪府:2,587,847人
- 北海道:2,359,183人
- 兵庫県:2,301,799人
- 福岡県:2,183,249人
- ※国勢調査
いよいよ、現在の人口分布に近い感じになってきました。トップ5以外で、200万人を超えた自治体は愛知県だけ。その他の県は、1908(明治41)年のころと比べて横ばいか微増といった感じです。関東大震災後の1925(大正14)年は次のとおりです。
- 東京府:4,485,144人
- 大阪府:3,059,502人
- 北海道:2,498,679人
- 兵庫県:2,454,679人
- 福岡県:2,301,668人
- ※国勢調査
関東大震災の復興と共に、東京に人口が流れ込んだとも一部で指摘されています。この時例えば、鳥取県の人口は全国最小で472,230人です。大正時代ですでに、10倍近い人口の差が国内に生じています。
この後、ご存じのとおり、東京圏の人口増加は進みます。第2次世界大戦後の1950(昭和25)年の時点で、総人口に占める東京圏の人口の割合は15.5%、1990(平成2)年には25%となります。
地方創成が各方面で長らく訴えられ、道州制の議論が定期的に盛り上がり、先日の都知事選でも多極化を訴える候補がいました。
やはり、現在の東京一極集中は、長い歴史を見てもいびつな状態の様子。この先はどのような姿になっていくのでしょう。東京圏に暮らす人も、そうでない人も、大注目のトピックではないでしょうか。
- 【参考】
- 【明治前期の石川県の人口について】 大石川県時代の石川県の人口は180万人ほどいて、日本で一番多かったと聞いているが、その数字の載っている資料はあるのか。 – レファレンス協同データベース
- 明治大正国勢総覧 – 国立国会図書館
- 人口推計(2024年(令和6年)3月確定値、2024年(令和6年)8月概算値) (2024年8月20日公表) – 総務省統計局
- 人口推計(2023年(令和5年)10月1日現在)‐全国:年齢(各歳)、男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級)、男女別人口‐ – 総務省統計局
- なぜ「東京一極集中」論はミスリーディングなのか~~総務省「人口動態調査」が示唆する本当の姿 – NTTデータ経営研究所
- 「住民基本台帳による東京都の世帯と人口」(町丁別・年齢別)の概要 – 東京都
- 明治時代に新潟県の人口が日本一だったというのは本当か。 – レファレンス協同データベース
- 第1章 第1節 これまでの東京一極集中の社会的・経済的要因 – 内閣府
- image by:Thomas La Mela/Shutterstock.com
- ※掲載時の情報です。内容は変更になる可能性があります。
いま読まれてます