一体なぜ?絶対に持ち主にはなってはいけない、呪われた「屋敷&宝石」
ロンドン塔/イギリス
同じくイギリスでは、「ロンドン塔」の怪奇現象も噂されています。ロンドン塔といえば、年間で300万人以上の観光客が押し寄せる人気の観光地です。もちろん、世界文化遺産ですね。
テムズ川沿いにあるとりでで、夏目漱石の短編小説『倫敦塔』でも取り上げられました。
『帝国文学』に同作品が発表された時期は、1905(明治38)年です。その時点から見てもはるか前、1078(承暦2)年ごろから当時の国王ウィリアム1世の命により築城が始まりました。
その長い歴史の間に、拡張、牢獄としての転用、王族・貴族などの国事犯が幽閉される場所として使われていきます。
王位継承をめぐる内乱(バラ戦争)の真っただ中の1471(文明3)年には、シェイクスピアが後に史劇で書いた、ランカスター朝(中世イングランド王国の王朝)最後のイングランド王である、ヘンリー6世も幽閉され、塔内で殺されたと『ブリタニカ国際大百科事典』にも書かれています。
一方で、ヘンリー6世のライバルで、ヨーク朝(中世イングランド王国の王朝)初代イングランド王としてバラ戦争を勝ち抜いたエドワード4世の子どもたち(エドワード5世と弟のヨーク公リチャード)も、エドワード4世の死後、ロンドン塔で行方不明になります。
1674(延宝2)年、2つのがい骨がロンドン塔で発見され、1933(昭和8)年の調査によって、10歳と12歳程度の子どもの骨だと分かります。
その年齢は、エドワード4世の子どもたち(エドワード5世と弟のヨーク公リチャード)が行方不明になった歳と重なるのだとか。
ロンドン塔は、徳川家康とほぼ同時期にイギリスを統治したエリザベス1世が幽閉された場所でもありますし、20世紀に入ってからも、ドイツのスパイ、ヨーゼフ・ヤコブスが第二次世界大戦中に処刑された場所でもあります。
こうした歴史の舞台であり続けたためロンドン塔は、市民にとっての畏怖(いふ)や恐怖の対象となります。
そもそも、立地からして、シティ(旧ロンドン市部、金融・商業の中心地)の内部に置かれているため、
<シティの住民に対する国王権力の威圧の意が込められていた>(小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』より引用)
との話。
怪奇現象も噂され、例えば、エドワード4世の子どもたちと思われる子どもの幽霊を目撃したとの話もあります。衛兵の幽霊が現れ、来場者に怖い話を聞かせるといった怪談も有名です。
観光地としては18世紀から公開されるようになり、1800年代から爆発的な人気スポットになったそう。現在も人気の観光地ですので、ロンドン旅行では欠かさず訪れたいですね。